セミナートレイン―東京の地下鉄探検-開催

一般社団法人交通環境整備ネットワーク主催/国土交通省関東運輸局後援

 我が国に初めて地下鉄が走ったのは、今から85年前。浅草・上野間2.2キロで営業が始まりました。
 今では東京メトロと都営地下鉄の路線は290キロに達し、更に他鉄道との相互直通により地下鉄ネットワークは首都圏全体に大きく広がっています。
  東京の地下鉄探検と題して、その地下鉄の歴史、技術の進展を探訪します。
  期 日:平成24年3月24日(土)13時00分~15時00分
  場 所:地下鉄博物館ホール
      東京都江戸川区東葛西六丁目3番1号
      東京メトロ東西線葛西駅高架下
        東西線葛西駅下車0分
  参加費:無料。
      ただし、地下鉄博物館館への入場料大人210円、小人100円が必要です。
  参加者:24名

プログラム
  1.講演:東京地下鉄の歴史
      交通評論家  佐藤信之 Sato Nobuyuki

Profile (社)交通環境整備ネットワーク代表理事、亜細亜大学講師(交通政策論、日本産業論)、著書「地下鉄の歴史」グランプリ出版ほか

  2.講演:地下鉄建設技術のあゆみと最近の改良工事
      東京地下鉄㈱鉄道本部改良建設部長 野焼計史 Noyaki Kazufumi

Profile 昭和59年帝都高速度交通営団入団、以来、建設本部で南北線・半蔵門線・副都心線などの新線建設に携わる。技術士(建設部門)

講演概要

東京地下鉄の歴史(概要)
      交通評論家  佐藤信之 Sato Nobuyuki             詳細版はこちら(PDF)

東京の地下鉄計画
東京の地下鉄計画の起源は、明治時代の市区改正設計ではないか。
明治の半ば過ぎの東京の都市交通は路面電車が中心で当時の東京市は路面電車を運転し、その路線網を拡充するのが手一杯。
そこに地下鉄計画を持った早川徳次が登場、大正6年に東京軽便鉄道で品川~上野~浅草そして上野~南千住の地下鉄路線を出願。
東京という都会がどんどん拡大する中にあっていずれ大規模な地下鉄網が必要となってくることが明らかになってきて、新しい交通網の形成に先に手を付けておきたいという人たちが沢山いた。東京軽便鉄道の他に、三井財閥系の東京鉄道が地下鉄計画をし、武蔵電気鉄道、今の東急電鉄の起源となる会社も地下鉄建設を計画。
大正7年に都市計画法が制定されて、街づくりと交通網の整備を連携させて行なおうとする。
大正9年には都市計画の一環として7つの路線計画が設定される。
早川徳次の地下鉄は、当時鉄道建設に熱心に取り組んでいた現在の大成建設につながる大倉土木という大倉組を中心とした大倉財閥の中のひとつの会社の手で建設が始まり、昭和2年12月30日浅草・上野間が開業した。
大倉土木は、東京の地下鉄道がどんどん伸びてゆくことを期待したが、なかなか進展しない。そこで大倉土木が中心となって東京高速鉄道を設立し、東京市が計画していた路線を代行建設することを目的とするという発想で、資金を第一生命に仰ぎ、実務は、鉄道の見識と、元鉄道省出身で官庁にも付き合いがある東京横浜電鉄の常務をしていた五島慶太にあたらせる。
東京高速鉄道が、後の東急との流れとみる人もいるが、むしろこれは大倉土木の仕事で、五島慶太が雇われたという関係。社長には大倉組の重役である門野重九郎が就任し、昭和13年11月18日に青山6丁目・表参道と虎ノ門の間を開業する。昭和14年1月15日に新橋まで開業して新橋ですでに開業していた東京地下鉄道の路線とは地図上は繋がることとなった。
しかし、色々な確執があって直ぐには直通は実現せず。ひとつは、東京地下鉄道の早川と建設をした大倉土木との間で確執があり、そして大倉土木と早川との関係が、東京高速鉄道と東京地下鉄の確執に繋がっていく。五島慶太が今の東急電鉄につながるコンツェルンを形成しつつあって、玉川電気軌道などなかば強引に統合するという五島との経営の哲学の違いというのもあった。
帝都高速度交通営団の設立
そのような中で国自体が戦時体制に入って、戦時経済として統制されていく中で、地下鉄の2つの会社は帝都高速度交通営団という形に事業統合がされる。

戦後の地下鉄の歴史
戦後になって、戦前の計画をほとんど踏襲する形でもって戦災復興計画の中で5つの路線を組み立て直すことになり、これが戦後の地下鉄建設の第一歩となる。
戦後のGHQ占領下で、戦争遂行するための組織をどんどん解体していく中で、帝都高速道交通営団も営団という名前がついているので、戦争遂行のための組織ではないのかということで議論が起きる。
このような中で、近郊私鉄も都心まで地下鉄を作って自分たちで乗り入れよう、東京都も地下鉄建設に手を上げるという混乱した状況になっていった。
昭和31年2月1日に都営地下鉄の計画が発表され、その後浅草線と日比谷線が東京都と営団で同時施行し、人形町駅は東京都と営団が一体的に施行をするということに繋がってゆく。
昭和31年8月、東京の鉄道路線網について、都市交通審議会第1号答申が出され、この答申によって、近郊の大型車両を乗り入れてしまうという大胆な構想が打ち立てられる。
昭和32年には都市計画設定がされ、現在の丸ノ内線、浅草線、銀座線など現在の路線網がほぼ確定される。
丸ノ内線は昭和29年1月20日に池袋・お茶の水間が丸ノ内線として初めて開通して以来、18年かかって全体を完成させた。
都営1号線浅草線は、昭和35年12月4日に押上・浅草橋間を初めて開業し、その後路線を伸ばしていく。
日比谷線は、南千住・仲御徒町間を昭和36年3月28日に開業して以降、都心に伸ばす。都営と営団の同時施工は、競争メカニズムを働かそうという意識があったのかは分からないが、それぞれが競い合いながら路線を伸ばす。
路線もかなり複雑に盛り込まれた第6号答申が、昭和37年6月8日に出され、地下鉄建設は、営団と都交通局の二者だけで行うという話に調整が進むと、都心へ乗り入れしようとしていた近郊私鉄は、むしろ営団や都営が建設する路線にどういう風に乗り入れて都心へのアプローチを実現しようかということに関心が移っていく。
西武鉄道は、西武池袋線を池袋で地下鉄に乗り入れ、新宿で西武新宿線に直通させる都心のアルファ(α)ルートを希望。これが、半蔵門線と有楽町線が一対の形で新しく設定されていく興味深い事例。 昭和47年に従来の答申項目に比べて10の項目が追加になった答申第15号がだされるが、都市交通の建設にとって非常に画期的な答申となる。 その後いくつかの答申が出されているが、地下鉄建設はピークを越えて、ほぼ完成しつつあり、これからの地下鉄建設は改良工事に重点が移っていく気がしている。


地下鉄建設技術のあゆみと最近の改良工事(概要)
      東京地下鉄㈱鉄道本部改良建設部長 野焼計史 Noyaki Kazufumi   詳細版はこちら(PDF)

東京メトロの概要
東京メトロは、平成16年(2004年)4月に設立。地下鉄事業とその他の関連事業を運営
資本金581億円、政府が310億円(53%)、東京都が271億円(47%)
収入3,776億円、一日平均のお客様は631万人(2010年度決算連結ベース)
営業キロ195.1キロ、駅数2,179駅、2010年度末車両数2,707両

中長期計画
平成22年度から24年度までの中期経営計画で、鉄道事業においては、「持続的発展による企業価値の向上を目指す」もので、安全の維持向上に向けた取組み、鉄道サービスの質的向上に力点を置いている。
設備投資額は、平成22年から24年の三か年間で2,613億円、24年度900億円弱。

地下鉄技術の変遷
営団地下鉄は、戦後1951年に丸ノ内線、池袋・お茶の水間の工事に着手以来、2008年6月14日に開通した副都心線まで57年間継続して新線を建設。
丸ノ内線、日比谷線、東西線、千代田線では、開削工法が主体。
本格的にシールド工法が使われたのは千代田線以降で、南北線、副都心線の建設においてはシールド工法が70%超。

開削工法
硬質地盤では、柱列式地下連続壁を築造して掘削し、下から構造物を作っていく。
軟弱地盤では、壁式地下連続壁を築造して、将来の上床や中床を先行して築造し、両側の壁を押さえる力を強固にしながら構造物を造る「逆巻き工法」を採用している。
丸ノ内線では親杭横矢板工法が主流、その後柱列式地下連続壁(鋼材とモルタルによる壁)工法が発展した。
丸ノ内線では土留め支保工も生木丸太を使用していたが、その後鋼材に変わる。
路面覆工も木製の板から鋼製に。
有楽町線市ヶ谷の大断面の掘削では、アースアンカーを使用。

シールド工法 シールド工法は、19世紀初めにイギリスの地下鉄がテムズ川の河川を横断する際にブルネルという人が、フナクイムシの挙動を参考にして開発する。
日本では、関門トンネルで本格的に採用し、都市トンネルでは、昭和32年(1957年)丸ノ内線の国会議事堂前付近での半円形のルーフシールドが初。
円形のシールドは、昭和35年(1960年)名古屋市交通局東山線で採用。
工法には、開放型と密閉型があり、密閉型には泥水式、土圧式がある。
これまで131本のトンネルをシールド工法で築造。このうち、開放型は、部分開放型を含めて66本、密閉型が65本。
シールド工法は、断面の増大という観点と駅部への適用において、工夫がなされてきた。
駅部は当初単線並列型のシールドが使用され、その後「かんざし桁工法」で両シールド間を結んだ駅が造られた。
さらに更にルーフシールドや着脱式泥水三連型シールドを使った駅が構築されてきた。南北線麻布十番と白金高輪駅の間では抱き込み式親子泥水シールド機を採用し、半蔵門線清澄白河駅では三連一体型シールドを使用。
断面での工夫としては、従来の複線のトンネルは円形で上下の部分に無駄な空間生じていたことから、半径が違う3つの円を合わせて複合円形シールドを開発、空間が約10%縮小されて、コストが削減するとともに掘削残土も減って環境負荷低減に寄与。

最近の改良工事
 今後改良工事が主体、既存のネットワークの価値をさらに高めるための様々な改良工事に取り組む。
輸送改善工事は、有楽町線小竹向原・千川間連絡線設置工事、東西線茅場町、門前仲町、南砂町の各駅で実施。
駅の混雑緩和対策工事は、有楽町線豊洲駅、副都心線の新宿三丁目駅で実施。
垂直移動設備の整備は、ワンルートの整備を平成31年度までには100%にするのが目標で、日比谷線入谷駅、小伝馬町駅、丸ノ内線中野新橋駅等で実施。

駅の利便性向上対策としては、銀座線渋谷駅移設工事を進めているほか、開発事業者と連携して東西線大手町駅、銀座線京橋駅、千代田線新御茶ノ水駅の各駅でコンコース拡幅等の改良工事を実施。

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