講演録

2.基調報告 「種村直樹汽車旅文庫の開設」 津軽鉄道株式会社 顧問 澁谷房子氏

 「汽車旅文庫」について報告をさせていただきます。
 コロナ感染症の影響で、この3年余り青森県から出ておりませんでしたから標準語がうまく話せるかとても心配です。津軽弁でなまりも強いかと思われ、お聞き苦しいところがあるかもしれませんがお許しください。
 報告に先立ち少しお時間をお借りし、クラウドファンディングに対するお礼と報告をさせていただきます。階段の修繕工事と電動式階段昇降機導入のために、2022年3月22日から5月13日までの間、"「絆の階段!未来への階段!」完成を目指して"として行なったクラウドファンディングですが、おかげさまで目標額を大きく上回る1300万円のご支援をいただきました。
 既に業者の方と打ち合わせが始まっており、2022年8月の末には完成することとなっております。 クラウドファンディングを行なってよかったと思うことは、お金と共に皆様方から沢山の応援のメッセージが届きました。「津軽鉄道の存続を願う」等の温かい言葉をいただき、心を熱くしております。ご支援いただきました皆様、本当にありがとうございました。

1本の電話から

 汽車旅文庫の解説につきまして報告させていただきます。
 2021年11月、津軽飯詰駅に種村直樹氏の汽車旅文庫を開設しまして7ヶ月が過ぎました。津軽鉄道の新たな魅力となって、沢山の愛読者や鉄道ファンが集う場所、またその方達と地元の人の交流の場ともなっています。
 当社で種村直樹氏の蔵書を受けて旅文庫を開設することになったというのは、2020年11月に(一社)交通環境整備ネットワークを通じて「種村直樹氏の蔵書を受けませんか」という一本の電話でした。
 本日は、この会場にその種村直樹さんのご息女の伏見ひかりさんはじめ、開設まで色々ご尽力をいただいた関係者の方が沢山お見えになっています。
 ここで、種村直樹さんの長女の伏見ひかりさんをご紹介させていただきます。(拍手)

- 客席から、伏見ひかり様(拍手) -

 「はじめまして、種村直樹の長女の伏見ひかりと申します。
 父の書斎には蔵書が沢山残っていたのですが、それを読者の方にお手伝いをいただきながら片付けを行なっていました。その片付けを行っていく中で、本当に奇跡的に津軽鉄道様とお話を繋いでいただくことができ、澤田長二郎社長様、澁谷様とも知り合いになり、そして皆様のお陰で、とても素敵な津軽飯詰駅に汽車旅文庫がオープンすることとなりました。
 父も本当に、とても喜んでいると思います。津軽はとても良いところで、実は私は今回のことがあって津軽鉄道に初めて乗せていただきました。これからも季節ごとにお尋ねし、列車に乗り、ずっと応援をして参りたいと思っております。
 皆様ありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いします。」(拍手)
      ◇   ◇   ◇
 私は、今日久しぶりに東京に出てきたのですが、伏見ひかりさんはとても優しい方で、ここまで来るのに迷子にならないようにと、なんと東京駅のホームまで迎えに来てくれました。一昨日も津軽に来ていただいており、ありがとうございます。
 会場には種村さんの愛読者の方が沢山いらっしゃるので申し訳ないですが、はじめてこのお話の電話を受けた時、実は私は種村直樹氏の名前を存じ上げませんでした。そして3000冊を超える蔵書とお聞きし、それがどのくらいの規模でどのようにして送られてくるか、一切わからなかったのですが、私の「直感」と、ここの法人を通しての話なので、それならば間違いないと確信し、お受けしようと思いました。
 これまで津軽鉄道には多くの取材申し込みがあって、その都度対応をさせていただいておりますと、なにかしらの繋がりができ、お会いした方のことは忘れていないはずなのですが、種村氏は不思議なことに、今にして思えばこれだけ有名な人が全然私の記憶の中になかったことが不思議です。「種村さんを知らずにして鉄道に関わってきた」ことはもう恥ずかしくて言えないと反省しています。
 汽車旅文庫を開設するにあたって、多くの愛読者の方に種村さんのことを伺いました。「鉄道好きの自分にとって、種村さんがバイブルである」とか、「鉄道旅が好きになったのは種村さんのお陰」とか、「種村さんの本がなければ地域鉄道の魅力を知ることがなかった」等々、お聞きした内容は沢山で言い尽くせませんけれど、種村さんの偉大さを知ることができました。中には「これだけ読んでもらえれば種村さんのアウトラインを知ることができるよ」と親切にも本を贈っていただいたこともあります。種村さんの愛読者の方たちは、皆さん心優しい方ばかりです。

開設準備を開始

 この話を社長の澤田に伝えると、「それは良い」と即決を得て、受け入れのための準備に動き出しました。
 受け入れ駅の候補としては、終点の津軽中里駅は広くて良いのですが、残念なことに管理する人がいません。社長の提案で津軽飯詰駅にすることを考えました。津軽飯詰駅では、「飯詰を元気にする会」が、津鉄の鉄道用品を展示した「博物館」と「鉄道カフェ」の運営を行なっていました。
 しかし、駅舎には大きな問題があり、それはあまりに建物が古く、雨漏りがしていたのです。その問題を解決するために、「飯詰を元気にする会」の岡田会長様と共に市役所に修理のための陳情に行きました。嬉しいことに市役所ではこの文庫の重要性と文化的価値を理解していただき、修繕費用の捻出をしていただきました。
 次に東京から運ばれてくる図書の保管場所をどうするかが問題となりました。雨漏りの修繕ができるまでの間どこに置いておけば良いかが頭を悩ますことになったのです。すると、職業訓練の短大である東北能開大青森校が駅の近くにあり、そこの校長先生から「屋根の修繕工事が終わるまでなら校舎内に保管しても良いよ」との有難い申し出があり、また課題をクリアすることができました。
 次は3000冊の本を納める本棚が必要となります。本棚と言っても木造の駅舎の中に金属性の棚はそぐわないし嫌だなと思っておりました。できれば本棚は木製にしたいというこだわりを持っていたのです。書籍を保管していただくこととなった東北能開大には別に秋田校があり、そこの建築科の皆さんには以前より駅舎の改装などでお世話になっておりました。そこに私共の気持ちを伝えましたら、なんと木製本棚の製作を快く承諾していただいたのです。
 屋根の修繕工事が終わり、11月4日には秋田校の先生と学生さんによって24個の本棚が搬入されました。11月8日には、青森校から100個を超える段ボールの蔵書、机が津軽飯詰駅に運び込まれ、伏見ひかりさんや関係者の皆様が大勢見えて、本棚に区分けをしながら無事納めることができました。
 このように、沢山の方々のご支援・ご協力をいただき、めでたく津軽鉄道全線開業92周年の開業記念日でもある11月13日に汽車旅文庫をオープンすることができることとなった訳です。一本の電話という小さなきっかけが、大きな成果を生むまでに至ったのです。

津鉄文庫

 先ほどこの「汽車旅文庫」開設にあたり「直感」があったと申し上げましたが、当社には、駅や車内で図書を自由に読み、貸し出しも自由の「津鉄文庫」が既にありました。
 1995年に沿線有志で組織する「がんばれ津鉄応援団」が、新聞で書籍の寄贈を募り、思いもかけず5000冊の本を集めることができ、それを駅と車両内に置いて「津鉄文庫」として運営を行なってきたという実績があったのです。
 さらに私どもの沿線は、文豪太宰治ゆかりの地です。そのように汽車旅文庫は受け入れやすい環境、土壌があって、それも私の「直感」にもつながったのでは、と思います。
 種村直樹氏が亡くなられて、氏の足立区内のマンションには、1万冊ほどの鉄道書籍・雑誌・時刻表が残されました。貴重な資料が多く、氏の愛読者の仲間たちが、ご遺族の意向に沿い、心当たりの収蔵先を探したのだそうです。
 その結果、一部は、芝浦工業大学附属中学高等学校内にある「しばうら鉄道工学ギャラリー」に、また種村氏の生地に近い「京都鉄道博物館」や「長浜鉄道スクエア」などでも引き受けていただいたとのことでした。それでもおびただしい数の書籍が残っていたのだそうです。何とか散逸を防ぎ、できれば一箇所に集めて後世に役立てることができないかと考えて、その書籍引き受けの打診を津軽鉄道にいただいたのでした。
 津鉄に運び込まれた100を超える段ボールにはひとつひとつ丁寧に、中に何が入っているのか、併せて重量も記載されており、私達が運ぶときに役に立つと共にその心遣いが嬉しかったです。
 2021年10月12日の新聞記事は、津軽飯詰駅の待合室に伏見ひかりさんもお見えいただいて、「飯詰を元気にする会」と津軽鉄道との間で搬入の打ち合わせを行い、この時「汽車旅文庫」という名称も決めましたが、その時の様子を報じたもので、地元の新聞社からは好意的に何度も取材をしていただきました。

汽車旅文庫のオープン

 そして、2021年11月13日に汽車旅文庫のオープンの日を迎えました。
 津軽飯詰駅のホームの上でテープカットを行いました。天気が良ければ後方に岩木山が見えるのですが、生憎の天候で残念でした。しかし、種村さんの長女ひかりさん・次女こだまさんや関係者の皆様が遠方から駆けつけてくださり、地元からも五所川原市長をはじめ東北能開大青森校長、飯詰を元気にする会の会員など多くのご来賓をお迎えし、盛大にオープニングセレモニーを行うことができました。
入り口には「汽車旅文庫」の看板も取り付けいたしました。この看板はお聞きするところによると種村さんの名刺のデザイン(0系新幹線)と同じデザインとのことです。
 書籍と共に種村さんが長年に亘り執筆愛用されていた机も併せて引き取ってもらえないかとお願いされ、当時の状況をできるかぎり残しておきたいという気持ちの強さに打たれ、汽車旅文庫の窓側に置かしていただきました。机の前のカーテンを開けるとホームが見え、走れメロス号やストーブ列車の出発を見ることができます。もし、ここに種村氏が居たならばどのように思われるかと想像します。
 この日、種村氏の関係者から20を超える花を贈っていただき、駅待合室に飾りました。このように花が飾られるのは多分開業以来のことではないか、駅舎も大層喜んでくれたのでは、と思いました。
 津軽飯詰駅では、「飯詰を元気にする会」と「我んどの津鉄応援団」の手により2019年5月から、津軽鉄道の駅名標や列車の行き先板・ヘッドマーク等を展示する博物館を開館していました。汽車旅文庫は、この博物館の展示品が飾られている下の部分に木製の本棚を置いて書籍を収納しています。博物館の中に汽車旅文庫が同居している形です。
 入館者には記念に無料で硬券をお配りしていますが、このイラストは種村さんの関係者の方にデザインをしていただき、それを津軽鉄道が作成して汽車旅文庫を運営する「飯詰を元気にする会」に配布を託しているものです。入館いただくのは無料ですが、入口に鉄道車両に設置していた運賃箱を置いておりますので、それに"投げ銭"と言いますか、寄附金を入れていただく形を取らせていただいております。寄せられた寄附金は、飯詰を元気にする会の活動資金になっています。
 毎月第三日曜日の開館日には種村氏の愛読者の方が必ず来られています。開館の都度何回も来られている方もおられ、中には食材持参でいらして昼食を作って来場者にふるまっていただく方があったり、本棚の本を見やすいように入れ替えを手伝ってくれたり、掲示物を張り替えてくれたりと、種村氏を慕う人にとっては汽車旅文庫ができたことで終わりではなく、これからも一緒に大切に育てていきたいと思っていただいております。
 5月の開館日には、早稲田大学の周藤真也教授と学生の皆様が種村直樹氏について調べたいとお越しになりました。ちょうどその時に種村氏の関係者の方、青森鉄道友の会の方と津鉄社長が集い、急きょ「種村直樹氏と汽車旅文庫を語る会」を開催いたしました。このように汽車旅文庫が初めての人と人を結びつける、とても良い空間にもなっていると感じています。

「飯詰を元気にする会」の活動

 先程からお話させていただいている「飯詰を元気にする会」は、平成24年1月に発足した会員35名の会です。実は私もその会員でもありますが、目的は津軽飯詰駅周辺の飯詰地区を限界集落にしないために活動しよう、と立ち上げた会です。
 様々な事業を行なっていますが、その中に「博物館」と「汽車旅文庫」の運営があります。その他に「駅ナカカフェ」、お正月には「餅つき」をしたり、「一人暮らしの高齢者に食事の提供」などを行なっています。山の近くにある集落なので「水芭蕉の鑑賞会」や「きのこ狩り」、また、子供を集めての「飯詰フェスタ」や「農産物販売」も行なっています。秋になるとりんごの販売をいたします。買った方は美味しいと喜んでくれ、出店する農家の方も喜んでくれて嬉しいと、どちらにも喜ばれる良い形になっています。
 駅には厨房がありますので、そこで料理することもありますし、津軽鉄道グッズの販売も行います。なお、駅入口に「開催中」ののぼり旗が掲げられている時に、博物館と汽車旅文庫が開館しています。

人と人を結ぶ津軽鉄道

 最後に私の津軽鉄道人生40年あまりを振り返った時に、40年と言うと、「澁谷は歳なんだね」と言われそうですが、今48歳のつもりです(笑)。40年津軽鉄道と関わってきて、津軽鉄道の役割も少しずつ変わってきたと思っています。
 当初は通勤通学や病院通いのお年寄りを運ぶ、生活の足としての「輸送手段」の役割が中心でした。 次にストーブ列車とかイベント列車を走らせることによる「観光鉄道」として、県内外からまた国外から観光客が訪れていただけるようになりました。
 最近は、津軽鉄道には「人を引き付ける魅力」が加わって、それにより「人と人を結び付ける力」ができたと感じています。
 津軽飯詰駅は、汽車旅文庫の開設によって、たくさんの人を結び付ける憩いの場所になりました。
 津軽鉄道に集う人々が、津軽鉄道を活用することで、新たな魅力が幾重にも増しています。
 この津鉄の魅力の輪がどんどん広がっていくように願っています。
 これまで私達鉄道会社は、多くの人たちと一緒になって鉄道の価値を高めようとしてきました。様々な旅行雑誌や鉄道専門誌、写真集、テレビやネット、SNS等で鉄道の魅力や価値を伝えていただきましたことに心より感謝を申し上げます。そしてこれからも「鉄道を書く」皆様には更に各地の鉄道の魅力を伝え続けていただくことをお願いすると共に、その情報発信力に大いに期待をいたしております。 津軽鉄道に集う人々によってもたらされる「津軽鉄道の進化」を是非あなたもご体感ください。四季折々魅力たっぷりの津軽鉄道は、沿線の皆様と共に"あなたをおもてなしする"ためにお待ちしています。
 次はぜひ「汽車旅文庫」でお目にかかりましょう。本日は大変ありがとうございました。(拍手)

プロフィール(敬称略)
澁谷房子 Shibutani Fusako
津軽鉄道株式会社 社長付顧問
1977年津軽鉄道株式会社に入社。総務、経理、企画部門等を担当、管理・企画グループを統括する執行役員を経て、2017年より現職。 社長の右腕として「仮想乗車」などの企画、商品開発の他、津軽鉄道の魅力を広く発信し続ける。津軽鉄道津軽飯詰駅構内「種村直樹汽車旅文庫」開設に尽力。
沿線住民や津軽鉄道を愛するファンからは、親しみを込めて「津鉄のお母さん」と呼ばれている。



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