鉄道あれこれ

プロフィール

鉄道コラムニスト
交通新聞記者を経て、社団法人日本民営鉄道協会常務理事として長く民鉄の広報活動に携わる。
独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構の機関誌や交通公論等の運輸専門誌に記事を連載。
一般社団法人交通環境整備ネットワーク審議役

目次

  1. 2020/06/16 コロナ禍に耐える津軽鉄道
  2. 2020/06/19 平面交差もある伊予鉄道
  3. 2020/06/22 「日本遺産」を活かすチャンス
  4. 2020/06/23 令和の年に昭和村?
  5. 2020/06/25 わ鐵に架かる橋梁は72ヵ所
  6. 2020/06/27 南鉄公認の応援歌"希望の花"
  7. 2020/06/30 賢治の「雨ニモマケズ」が歌に
  8. 2020/07/01 南越前町の熱い思いを拝受
  9. 2020/07/03 廃線免れたJR飯山線を見直す
  10. 2020/07/05 鉄道メロディーに新たな息吹を
  11. 2020/07/09 駅で聞く生演奏
  12. 2020/07/11 廃線にめげない飛騨・神岡の住民
  13. 2020/07/13 仙台市内の三居沢水力発電所
  14. 2020/07/15 三セク協発行の"鉄印帳"が大人気
  15. 2020/07/17 生涯踏切警手と落石事故防止
  16. 2020/07/19 和歌山電鐵の願いは"公有民営化"
  17. 2020/07/22 高速バス利用を"旅上手の一手"にしたい
  18. 2020/07/25 平和ってどんなこと
  19. 2020/07/28 三岐鉄道の"年金相談列車"
  20. 2020/07/30 トンネル崩壊を予知した斎藤廸孝さん
  21. 2020/08/03 駅の野鳥放送、駅の花々
  22. 2020/08/06 広島電鉄の被爆電車653号が特別運行
  23. 2020/08/10 "ゆいモノレール"17回目の開通記念日
  24. 2020/08/12 仁杉さんとマクラギ
  25. 2020/08/16 今も"光る分岐器"
  26. 2020/08/19 コカリナで雰囲気抜群の別所線応援歌
  27. 2020/08/21 写真集"由利鉄の詩(うた)"で心を癒す
  28. 2020/08/24 コロナ禍における地域鉄道に対する救済の手を
  29. 2020/08/27 魚を運ぶ新幹線に仰天!
  30. 2020/09/05 トコショット節
  31. 2020/09/06 八代目林家正蔵と地下鉄定期券
  32. 2020/09/09 無念!『リハビリテーション』誌の休刊
  33. 2020/09/11 津軽鉄道のスズムシ列車
  34. 2020/09/19 急ぎたい地域鉄道の現状再確認と支援
  35. 2020/09/20 いつでも どこでも みんなのバス
  36. 2020/09/23 ふるさと納税のお礼に"塩狩駅カード"
  37. 2020/09/27 高幡不動尊と『玉南(ぎょくなん)電気鉄道記念之碑』
  38. 2020/10/01 "開業50周年"を迎える土佐くろしお鉄道中村線
  39. 2020/10/05 松浦鉄道と竹筋コンクリート橋梁
  40. 2020/10/06 33年間、みそ汁を踏切保安掛詰所へ届け続けた田所フキさん
  41. 2020/10/10 地域公共交通優良団体への国交大臣表彰
  42. 2020/10/12 ヒントにしたい"ガーデンツーリズム"
  43. 2020/10/17 旧高千穂鉄道の2つの橋梁が重文指定に
  44. 2020/10/19 岩波が『日本の私鉄』を重版再開
  45. 2020/10/20 ローカル鉄道のキャンペーンが考えられないか
  46. 2020/10/22 カボチャに託す
  47. 2020/10/24 大地に絵を描き続けた岩切章太郎
  48. 2020/10/27 交通界の"共助"に期待
  49. 2020/10/29 ポストコロナを見据えて
  50. 2020/10/30 奥さんと娘さんの会話から誕生した鉄印帳

2020/06/16 コロナ禍に耐える津軽鉄道

 青森県の津軽鉄道(愛称・津鉄)。作家・太宰治のふる里・金木辺りを走る鉄道で、津軽半島の突先から北海道への眺望は格別だ。

 JR五能線五所川原駅前の津軽五所川原~津軽中泊間20.7㎞。全線非電化単線。
いつもなら遠望する岩木山をバックにリンゴ畑が映え、大稼ぎの多客期だが、今年はコロナ禍でそうもいかない。乗客数は対前年約65%の減少、収入は同じく約74%の減少と苦難が続く。手元資金が少ないうえ、運転資金難。リンゴ・マスクを売るなど知恵を絞り、社員は「コロナに耐えて鉄路を守る」と頑張っているが、限界は目に見える様子。

 澤田長二郎社長は20社加盟の東北鉄道協会会長。東北6県全域に目配りしながら、大車輪で他社の窮状を国や自治体にさらなる救援を繰り返している。

2020/06/19 平面交差もある伊予鉄道

 愛媛県の伊予鉄道(愛称・伊予鉄)。松山といえば松山城、名湯・道後温泉などの観光名所が次々浮かぶ。伊予鉄はそれらを市電・バスの公共 交通機関で繋ぐ。なかでも"坊っちゃん列車"はお馴染みだろう。

 明治20年(1887年)創業で、大手の南海電気鉄道(大阪・1884年)に次いでわが2番目に古い私鉄。平成30年(2018年)に少子高齢化、人口減少化の社会事情に合わせた事業展開を目指して持株会社「伊予鉄グループ」体制に移行、チャレンジプロジェクト事業計画を推進中。柱は、①乗ってみたくなる電車・バス、②観光振興への対応,③お客さま視点での安全・サービス向上の3本。
 その証の一つがこの5月に公益財団法人交通エコロジー・モビリティ-財団(会長岩村 敬)から受けた第11回EST交通環境大賞。「地方からの挑戦」が認められたものだが、こうした社会評価は垣根を越えて紹介したい。

 市民から「坊っちゃん列車だけでない。鉄道線を忘れては困る」という声を聞いた。高浜・横河原線22.6㎞、郡中線11.3㎞で、沿線は住宅地が目立つものの、新しい見どころ、振り返りたい歴史文化財が散在していた。鉄道ファンにお馴染みの平面交差は高浜線大手町駅近くにあるが、新しい視点で歩く楽しさを一般利用者との会話から拾えるのはなによりだ。

2020/06/22 「日本遺産」を活かすチャンス

 文化庁は6月19日、新たに「日本遺産」21件を認定した。
 念のため数社に確かめたが、鈍い反応。「せっかくの国認定。パワーを誘客に活かすチャンス到来」と繰り返した。
 因みに、2015年度初認定以来、104件になっている。

 今回の一つの『海を越えた鉄道』(福井県。滋賀県)は、秘かに認定を期待していた。「長浜市・敦賀市・南越前町観光連携協議会(岩倉光弘会長)が申請していたもので、長浜市の旧長浜駅舎などが対象になった。この一帯には明治15年に日本海側の最初の鉄道として長浜~金ヶ崎間が開通していたなどの鉄道遺産が多い。それに琵琶湖や西国三十三所観音巡礼のコース。鉄道ファンならずとも観光客を楽しませる素材は限りない。招く側はもちろん、旅立たせる側にもしても格好のニュースだ。

 そのさい観光割引やバス、タクシーの情報をお忘れなく。体験上、特にバス網の案内が大きなポイントになると思う。「なぜ『海を変えた鉄道』なのか」、「南越前町との関係は」などの疑問を解きながらの観光客誘致を期待したい。

2020/06/23 令和の年に昭和村?

 福島県奥会津に昭和村がある。
 昭和2年(1990年)に二つの村が合併して誕生した人口1300人の山村。

 JR只見線のコースもあるが、今回は東武鉄道浅草駅から東武線、会津鬼怒川線、会津線で会津田島駅へのコースを紹介。下車して昭和村南会津町生活バスかタクシーに乗り換える。特急電車を使っても片道約5時間は覚悟。しかし、"昔と今が織りなすタイムトリップ"の道中を「もう一度経験したい」という旅人が多いとか。

 初夏から晩秋にかけての花・カスミソウの栽培面積は全国一。豊かな自然の中に『道の駅・からむし(苧)の里しょうわ』が待ち受ける。
 特産のからむし織は室町時代からの織物。織姫交流館では体験可能だが、改めて泊まり込み約一年の織姫・彦星制度に応募する人も後を絶たず、「終了後そのまま定住する人がふえている」(湯田文則奥会津昭和村振興公社専務)というほどの評判。

 「行きの長旅の疲れも、帰りの車中ではもう一度という気持ちに変えさせること間違いなし」と村民は屈託なく笑う。

2020/06/25 わ鐵に架かる橋梁は72ヵ所

 長年の友の訃報が届いた。彼の趣味は鉄橋を行く鉄道写真の撮影。特に三セクの『わたらせ渓谷鐵道』(愛称・わ鐵)がお気に入りだった。

 群馬県市域の桐生から栃木県日光市域の間藤まで44.1kmには、渡良瀬川(一級河川)が四季折々の風情を見せる。偶々、同社から「コロナ禍ながら2種類のトロッコ列車のうち、まず<わたらせ渓谷号>を7月5日から運転開始」と伝えてきた。同号は大間々~足利間を一日一往復。これも友人とのご縁による情報か。

 わ鐵沿線は、JR東海の元会長須田寛氏らが啓もうする"産業観光"の代表例。同社の前身は明治、大正期からの足尾銅山産出の銅運搬を役目とした足尾鉄道で国鉄、JR東日本と繋ぎ今に至る。歴史・文化・民俗の多様な姿は、風光明媚の魅力を倍増する。

 橋梁72、トンネル10。沿線の38施設が国登録有形文化財で、平成28年には土木学会が"土木遺産"に認定したほど。日光へは藤間駅から日光市営バスで約40分。ダイヤなどを調べて行程をつくり歩けば、わ鐵の魅力を再確認する機会にもなる。

2020/06/27 南鉄公認の応援歌"希望の花"

 熊本県の三セク・南阿蘇鉄道(愛称・南鉄(なんてつ))は、2016年4月16日の熊本地震で高森線中立~高森間全線17.7kmが不通になった。
 108日後に高森~中松間7.1kmは復旧したが、現在もそのまま。

 特にJR豊肥線と接続の中立駅付近は地層の関係もあって難しい工事の連続。水面から60mの高さ日本一の第一白川橋梁やそれに続く大小のトンネルが壊滅的な被害を受けた。熊本県や関係自治体などの支援を受けて、令和5年夏ごろまでに全通をと目標を立てたが、予断を許さない様子だ。

 そうした中で元気づけているのは南鉄公認の応援歌"希望の花"。東京在住のミュージシャンと砂を使った作品をつくる画家が互いの持ち味を生かしてDVDにまとめて発売、その販売収益金を南鉄義援金として送り続けているという。
 もう一つは一般からの支援金。1万5000円で枕木に名前を残すももので、生活路線としての再起をと願う沿線住民はもとより、遠方からも支援の手が差し伸べられている。「高森~中松間にはトロッコ列車"ゆうすげ号"も営業運転しています。着実に復興への歩みを続けている現状を確かめながら旅心を楽しんでほしい」と津留恒誉専務は話している。

 南鉄の『南阿蘇水の生まれる里白水高原』駅は日本一長い駅名というのも話のタネだ。それにトロッコ列車で初夏の花・ゆうすげを楽しむのも復興支援になる。

2020/06/30 賢治の「雨ニモマケズ」が歌に

 今朝4時のNHKラジオでシンガーソングライターの沢知恵が宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」に曲をつけて歌っていた。初めて知ったことなので驚いた。
 同時に、岩手県の三セク・IGRいわて銀河鉄道(愛称・IGR)がタクシーと連携して『IGR地域医療ライン』の地味な活動をコツコツと続けていることを思い出した。盛岡~目時間(82.0㎞)を取材したさい、沿線住民が石川啄木と宮沢賢治の名前を何度も口にしていたのでなおさらだ。

 『IGR地域医療ライン』は、同社が長年にわたり沿線住民のため心掛けている"安心リレーの絆"。急病人用に小繋、一戸、金田一温泉などの駅前に専用無料駐車場を用意し、列車内にはアテンダントを同乗させて県都の盛岡駅へ。到着ホームでは岩手中央タクシーに引き継ぎ、岩手県立中央病院、岩手医科大病院まで移送というシステム。筆者も偶然、盛岡駅ホームでの場面を目にしたが、幟を立てたタクシー乗務員とアテンダントの連携は極めてスムーズだった。

 しかし、最近になって岩手医科大学が東北本線矢幅駅近くに移転したと聞いて、その後の様子が気になっていた。
 それは心配無用だった。医大移転跡地には新たに内丸メディカルセンターが開院、従来通りの態勢を維持していたのだ。IGRの浅沼康揮社長は「人口減少と高齢化社会の進行で、沿線の医療機関は少なくなるばかり。特に高齢者の医療不安は高まる一方です。地域の鉄道として最大限のカバーに努めていきたい」と熱く語る。

『雨ニモマケズ』の終りの五行が好きだ
 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ

2020/07/01 南越前町の熱い思いを拝受

 文化庁が6月19日に認定した『日本遺産』の一つ、"海を越えた鉄道"をご紹介したばかりだが、早速、福井県南越前町役場観光まちづくり課から鉄道ファンでなくても手にしたくなるようなパンフレット類が届いた。なかでも「記憶の旅へ」の大小2種類は楽しい。

 旧北陸線の鉄道遺産をエリアとする滋賀県長浜市と福井県敦賀市、南越前町(今庄)の2市1町が連携しての鉄道遺産回廊をカラー刷りしたもの。各エリアまでの車と鉄道の所要時分を大阪・名古屋~金沢間で紹介しているが、まずは"福滋(ふくじ)県境"を越えての案内ならば妥当だろう。せっかくのことなので小欄も機会を見つけては紹介を心掛けたい。
 これからの観光事業は、従来型型既存の評判に頼って客足を待つ時代ではないといわれている。
 鉄道・バス。タクシーの地域公共交通の連携体制もまた問われそうだ

2020/07/03 廃線免れたJR飯山線を見直す

 「記事の中に地方交通線を意識してほしい」のご指摘を頂いた。すぐに思いついたのはJR飯山線。長野県長野市の豊野駅から新潟県長岡市至る96.7㎞。JR飯山線はまさに"地域公共交通の要"の代表例だ。

 長野~豊野間の経営は三セク・しなの鉄道に移管されているが、並行在来線という枠にとらわれず、運行業務は三セクからJRに委託された形でJRが受け持っている。また豊野~森宮野原~足滝間は長野支社管内、足滝~越後川口間は新潟支社管内に分けられている。

 豊野駅から分岐する北しなの線の終点・妙高高原では三セク・えちごトキめき鉄道の一線"妙高はねうまライン"が日本海沿いの直江津駅までの旅を誘っている。JR飯山線に止まらず、鉄道のあり方をもっと広い視野で見守りたい路線だ。

 余談だが、飯山線には思い出がある。駆け出し記者の時、豪雪の中の鉄路を守る保線マンを取材するように命じられた。確かタイトルは『飯山線に闘う』で連載ものだった。

 そこでベテラン保線マンが「絶対に口笛を吹かないように」と念を押された。緊張しているから吹くはずもないが、理由をたずねると、「空気を刺激して、かろうじてバランスを保っている斜面の雪が雪崩になる」ということだった。それは後年、各地の取材でも役立った。雪崩報知器なども珍しくなくなった昨今だが、AI時代にこの話は通じるだろうか。

2020/07/05 鉄道メロディーに新たな息吹を

 テレビやラジオで鉄道ものを見聞きすると、それなりメロディーが流れる。コロナ禍で外出自粛。ある時、「決まったような音楽ばかり」と気が付き、調べる気になった。

 知人のデータでは日本に関するものだけで1875年(明治20年)の"汽車"(じょうきしゃ)から2017年(平成29年)の"哀しみの終着駅"(歌・森昌子)までざっと400曲あった。鉄道唱歌、社歌、お座敷歌、歌謡曲・・・ジャンルは様々だが、思わず口ずさむ歌も少なくなく、しばし心を和ますことができた。

 毎年、10月14日前後の"鉄道の日"に東京で大々的な記念行事が開催されているが、どちらかといえば売り物は古い切符やグッズ類といった鉄道ファン好みのものが主流のようだ。そのたびに思うのだが、鉄道会社や関連企業にはコーラスグループなどがあるはずだから、得意のハーモニーを聞かせてくれることはできないものだろうか。自社沿線の歌も結構。会場周辺には鉄道ファンでない人も大勢いる。楽しませながら沿線PRにもなるはずだ。

 実は、電車で乗り合わせた幼子が愚図った折に、困った若いパパさんを見かねて、つい♪今は山中今は浜・・・とやってしまった。驚いたのかどうしたのか分からないが、まもなく幼子は機嫌をなおした。パパさんの嬉しそうな顔を見て、勝手ながら鉄道唱歌の良さを再認識した。

2020/07/09 駅で聞く生演奏

 千葉県の銚子電鉄を訪ねた折に、銚子駅でピアノの生演奏を楽しんだことがある。正確に言えば、ピアノはJR銚子駅構内に置かれていて、弾いていたのは銚子電鉄利用の数人の男女中学生。タウンストリートピアノだと教えられた。JR東日本の話では、東北新幹線白石蔵王駅、中央本線松本駅にも地元自治体の協力で置かれているが、コロナ禍の今は全て使用禁止という。

 ライブなどが開催できずミュージシャンの苦労話を見聞きするが、いずれ落ち着きを取り戻した時に、このような場面を多くすることは無理だろうか。「使わなくなったピアノを 譲って」というテレビコマーシャルもあるが、関係者の心掛け次第では、駅構内の空間利用も可能だし、行き来する人たちの心を癒すことにもなるはずだ。

 ローカル線内にピアノを用意した駅が増えれば近隣の人たちの憩いの場所にもなるだろうし、あらためて鉄道を見直すチャンスにもなりはしまいか。岐阜県の長良川鉄道沿線で出会ったフランス人観光客は「待ち時間の有効利用と、旅の思い出を深められる」と勧めていた。"場違い"という紋切型の考え方をやめれば、いくつかの駅かで実現可能なはずだ。

2020/07/11 廃線にめげない飛騨・神岡の住民

 分厚いレターパックが届いた。岐阜県のNPO法人神岡・町づくりネットワーク(鈴木進悟理事長)からの活動記録2巻が入っていた。内容は平成18年12月廃線の三セク・神岡鉄道にまつわることから、今人気のレールマウンテンバイクを柱とした町活性化の歩み。NPO法人結成準備開始の2001年(平成13年)から平成最終年の2019年(平成31年)までの新聞記事や独自の記録写真と大勢の住民の声などをカラーでまとめていたが、ひと目通しただけでふる里を守る地元の人たちの熱意と温もりを感じさせた。

 NPO神岡・町づくりネットワークの活動は、それだけにとどまらない。全国各地で鉄道廃線から立ち上がろうと頑張っている地区との連携を率先垂範していることも特記したい。現在、15団体で協議会を持ち、鈴木理事長が会長を務めている。"他山の石"を互いに活かしていこうという姿勢からのもので、小欄も機会をとらえて各地の模様を紹介する考えだ。

 以前、JR渋谷駅近くで激しく行き交う電車を楽しみながら「廃線した草軽電鉄のその後を取材してみますよ」と話していた作家・宮脇俊三さんを思い出した。彼の思いは、その後、廃線跡を訪ねる旅人気の火付け役になった。

2020/07/13 仙台市内の三居沢水力発電所

 宮城県仙台市のほぼ町中近くで、今も明治以来の三居沢(さんきょざわ)水力発電所所が稼働している。仙台駅からバスで約15分。東北電力が"三居沢電気百年館"を用意しいて楽しく学べる格好な場所だ。
 足の便も"仙台まるごとバス運営協議会"加盟の仙台市営バス、宮城交通、仙台市営地下鉄、仙台空港鉄道、阿武隈急行、JR仙石線などが連携、利便性は良好。産業観光100選に一つに選ばれているのも頷ける。山深い所の巨大ダムの迫力はないが、とにかく一見に値する。

 仙台とその周辺には伊達政宗にまつわる史跡や松島などの名所旧跡が多い。小生も仙台在任中にこのダムの存在を繰り返しPRしていたが、当時は地元ですら"産業観光"そのものへの関心度は低く、残念な思いを重ねていた。
 発電所の起源は、明治時代初期に青葉山、広瀬川などの自然資源をバックに創業した宮城紡績会社による。同社は明治21年(1888年)に紡績機用水車タービンに5kwの発電機を取り付け、史実に残る日本初の水力発電を始めた。その後、容量変更などがあり、明治43年(1910年)から本格運転を開始、今に至る現役の水力発電所だということを知らない向きが多い。建屋は登録有形文化財で、平成21年(2009年)には経済産業省の近代化産業遺産群にも指定されている。

 "仙台まるごとバス運営協議会"は加盟社を対象に2日間乗り放題の"仙台まるごとパス"を発売している。関係者は「コロナ禍後の新しい時代意識が模索されている昨今、大都会の名所旧跡も新たな視点で旅人の心を掴みたい」といっているが、"産業観光"を見直してもらうためにも全国PRに値する。むしろ遅すぎるくらいだ。

2020/07/15 三セク協発行の"鉄印帳"が大人気

 全国40社の三セク鉄道で組織する第三セクター鉄道等協議会(会長・中村一郎三陸鉄道社長)は7月10日から"鉄印帳"を発行、加盟各社の指定窓口で発売している。手探りの気持ちで5000部を用意したところ、発売早々に売り切れ窓口も出るほどの人気で、増刷を検討中という。

 "鉄印"は、寺社巡りのご朱印と同じように全国40社を巡りながら"鉄印帳"に押印される手法で、ご朱印帳の鉄道版。
 狙いは「地方鉄道の利用促進を図りながら地方経済と観光の活性化に寄与したい」だが、自らの厳しい経営環境に少しでも潤いをと願ってのこと。この事業には旅行関係会社の日本旅行、読売旅行も賛同、弾みをつけている。コロナ禍などの社会情勢もあり、この先の展開は予測できないが、「40社巡りはできないまでも鉄路維持の寄付になる」(岩手県)、「地図上ながら三セクの鉄路を確認した。思い出の記念に」(愛知県)という評判が大きな背景のようだ。
 三セク協はこれをバネに、目下、沿線商店街と連携して飲食やお土産品などのサービスアップを検討しており、「地域活性化にも寄与していきたい」と前向きの姿勢だ。

 はじめに各社で共同発売を行っている鉄印帳2200円を購入し、巡った先々の指定窓口で乗車券を提示して記帳料300円を支払ってオリジナルの"鉄印"をもらうもの。

2020/07/17 生涯踏切警手と落石事故防止

 むかし話を二つ。
 つい最近、JR鶴見駅を通過していた時、思い出したのは昭和25、6年の頃の老踏切警手のこと。踏切廃止が進む今時、踏切事故のニュースはあっても警手を話題にすることはないのにひとしい。
 もう一つは確か昭和32年にJR伯備線であった落石事故で、通りがかりの沿線住民の目の覚めるような働きぶり。
 お盆時、しかも大雨被害が報じられる中で、不正確さを恥じながらも老いの身を隠さずに紹介したくなった。いずれも20代後半の頃に上司から聞かされた話だが、その感動は今でも旅先での会話の機会を大事にしたいという気持ちの底辺になっている。

 鶴見駅構内の上原愛之助踏切警手は25年間一日も休まなかった。病に倒れる一日前まで安心安全の旗を振り続けた。その精勤ぶりに当時の国鉄の白木東鉄局長が表彰状を贈った。遮断機を早く降ろせば気が利かないと冷たい眼でみられ、反対に通行人の便宜を図って遅く降ろせば事故につながりやすい。この呼吸を読むのは至難の業に違いない。
 自己の職務に対する忠誠さはもちろん、ひとに対する深い愛情がなければできない偉業と教わった。

 昭和32年の7月のこと。伯備線に沿う高梁川は濁流渦巻く激流状態だった。対岸を車で通りがかった大理石採掘会社の北村社長と二人の社員は「線路上に山から落ちてくる三百貫余の大石」を発見した。社長の指示に従った社員二人は、躊躇なく濁流に飛び込み現場に急行、大石を線路外へ除去した。その直後に列車が通過、事なきを得た。大石の扱いに慣れていた人でなければできないことの幸運さもあるが、彼らの間髪置かない行動に感動した。社長のひと言がよかった。「荷主として列車の運行にはいつも注意し関心をもっている。それが役立ってなにより」。

 時代に関係なく、今日も何処かでニュースになるのか、あるいはならないのか、こうした目立たない話が生まれているのだろう。そのような話をたくさん見聞きしたい昨今の世情だ。

2020/07/19 和歌山電鐵の願いは"公有民営化"

 和歌山電鐵を支援する「貴志川線の未来を"つくる"会」(木村幹生代表、会員1924人)から7月発行の会報(第16号)が送られてきた。発行は年一回。そこには『2019年度利用者は200万人割れ。15年前からの存続活動で初めてのこと。コロナ禍で頼みの綱の観光客も激減。あとは "公有民営化"しかない』と訴える声が載っていた。和歌山電鐵貴志川線(和歌山~貴志間14.3km)は、大手の南海電鉄が経営難を理由に手を引くこととなったが地元関係者の熱意により存続が決定し、新会社を設立のうえ2006年4月より事業継承をした。

 この時、再建を託されたのは岡山県の両備グループ。同社の小嶋光信社長は、全国各地で経営難に陥っている地域公共交通(電車、バス、タクシー)に知恵を貸しながら、再建の陣頭に立っている人物。和歌山電鐵では、貴志駅長に猫のタマ(現在は二代目のニタマ)を任命して話題を集めて集客に成功し、電車デザインを水戸岡鋭治さんに依頼して"いちご電車"などを走らせ、鉄道ファンに限らず沿線地域の人たちにも地域鉄道の存在感を再認識させた。また訪日外国人観光客、特に中国や東南アジア諸国からの誘客に成功し、再建への道を着々と築いてきた。それが2019年度利用者数は198万8000人、前期比で9万8000人減、4.7%減まで落ち込んでしまったのだ。主原因はコロナ禍だが、それに平素からの通勤通学客の利用縮小も重なっている。

 会報には小嶋社長も寄稿、「大赤字で手が打てなくなる前に『公有民営化』して、地域と行政が一体になった攻めの展開をしたい」と決意を明記する。さらに具体案として観光客の再掘り起し策などのほか、和歌山駅から和歌山市駅への延伸、人気の"タマ電車"等をJR線で新大阪駅へ乗り入れできる観光列車に育てるなど10項目を提案、再び廃線の危機を迎えないために沿線住民との一層の連携を呼びかけている。

 因みに、公有民営化、いわゆる地方鉄道における上下分離の実例は、四日市あすなろう鉄道(三重県)、福井鉄道(福井県)、信楽高原鐵道(滋賀県)など全国でいくつかの路線がある。

2020/07/22 高速バス利用を"旅上手の一手"にしたい

 数日前の昼時、ぶらりとJR新宿駅南口前の高速バスターミナルへ行った。普段はあまり足を向けない所だが、折しも『Go Toトラベル』が話題になっている。鉄道や飛行機とは異なる「高速バスと地域公共交通との接点」を確かめたいという意識があった。
 その下敷きは鉄道ファンとの会話。「行き先にもよるが、高速バスで途中下車すると不便な目的地への最短距離になる」、「夜行ダイヤの終点到着は早朝。それだけ行動範囲に余裕ができる」と聞いたとき、政府キャンペーンが続く限り、こうした小さな話も大事にして地方再生の役に立てたいと思った。断っておくが、小生は"地方創生"よりも、昔からの魅力を甦らす感じの"地方再生"のタイトルに拘っている。

 乗降客とその合間に雑談した。多かったのは「旅情報が運行するバス会社単位に限られ、面倒だった。全体像を把握できる手軽な時刻表がほしい」という指摘。また年配者からは「運賃は安いし、車内設備も良い。なによりもターミナルができて乗り場が分かりやすくなった。大進歩だ」、「途中停留所での乗り継ぎ案内や最寄りの他の鉄道バス案内が十分ならリピーターになりそう」という感想が続いた。運行バス会社にしてみれば、今さら何のことだ、どれも当たり前のことだろうと切り返されそうだが、ターミナル以外でのサービスのあり方に過不足ないかと言われて戸惑いはないだろうか。高齢化社会の昨今、バス事業者揃っての見直し事項にしてもよさそうだ。この日の乗降客との雑談で、鉄道や航空機と比べてバス利用に二の足を踏む人たちの共通した反応をいくつか耳にした。できれば訪日外国人観光客の交通事情に関する印象、特に高速バスへの思いも知りたくなった。6000万人目標の観光ニッポンのためにも。

 今回の政府キャンペーンでは「東京都発着」を旅行補助対象から除外されたが、平素は、高速バスと行き先地との宿泊パックも評判がいいようだ。到着先での地域公共交通をバックアップする意味からも高速バスの役割は大きい。"高速バスと地域公共交通の繋がり"という古くて、新しい課題を与えられた思いだ。

2020/07/25 平和ってどんなこと

 電車やバスの中で、ふと耳にする幼い子とパパ、ママたちの会話は話題を拾うチャンスでもある。タイトルは、その折の一つだ。
 戦後75年。今年も各地で慰霊祭などが予定されていたが、多くはコロナ禍で中止か縮小の様子だ。しかし、形はともかく未来を担う子どもたちには戦争の悲惨さを伝え、「平和」の意味を語り合うことだけは忘れないでほしい。

 福岡県朝倉郡の三セク・甘木鉄道の太刀洗(たちあらい)駅最寄りに太刀洗飛行場跡がある。現駅舎(無人駅)の右側に旧駅舎があり、その上には航空自衛隊に所属していたT―33練習機が乗っていた。同行の鉄道員から「飛行場跡の"町立大刀洗平和記念館"が誰彼なく語りかけるチャンスを待っていますよ」と誘われた。そこは鹿児島の知覧特攻隊基地との関係も深い所だったので未だに忘れ難い。平和の今では「町名は『大』刀洗。駅名の『太』刀洗の違いは?」と問う鉄道ファンが多いそうで、町立大刀洗平和祈念館には関心が薄いらしい。

 千葉県山武市のJR総武本線成東(なるとう)駅の一隅に駅員の追悼碑がある。終戦直前の昭和20年8月13日、停車中の列車を米軍機が機銃掃射、駅員ら42人が亡くなった。追悼碑はその慰霊のためのものだ。列車には爆薬が積まれていたので大爆発したのだが、軍事秘密ということで、真相は長い間伏せられていた。成東駅員の生き残りの一人の大木昭晃さんが九十九里浜の東光寺住職になって供養を続けているとも聞いたが、その後は承知していない。平和な今は、山武市歴史民俗資料館で知ることができる。

 東京都八王子市の観光客でにぎわう高尾山(599m)。その峰続きの猪鼻(いのはな)山の下をJR中央本線の"湯(い)の花トンネル"が抜けている。昭和20年8月5日、浅川駅(今の高尾駅)を出た新宿発長野行き419列車がトンネル付近で米軍機P51に襲撃されて60人以上が犠牲になった。今年で37回目の慰霊祭を8月5日に現場で行う旨『いのはなトンネル銃撃遭難者慰霊の会』(齋藤勉会長)から伝えてきた。

 全くの余談だが、美空ひばりが猛暑の広島で『一本の鉛筆』を歌おうとしたとき、体を気遣った付け人に「この歌に出てくる人たちはもっと熱い思いをしたでしょうね」と言って舞台に立ったという。同じような気持ちで真夏を迎えたい。

2020/07/28 三岐鉄道の"年金相談列車"

 昭和35年ごろであった。国鉄門司管理局管内筑豊本線二島(ふたじま)駅は駅職員の4分の1を20代、30代の身体障害者5人で占めていた。多くは貨物列車編成時の危険な仕事などで足を切断した鉄道掛だった。門鉄局は「彼らに卑屈な思いをさせないように二島駅を"モデル駅"にして、管内職員全員の安全意識高揚と地域住民との交流づくりの礎にしよう」と考えての実践だった。その後を確かめたくなり、JR九州に尋ねたら「今は無人駅」との答え。あらためて時の流れを痛感した。

 思いがけず別の情報を得た。『三重県四日市市の三岐鉄道が8月16日(日)と9月21日(月、敬老の日)に"年金相談列車"を運転再開する』というのだ。同社が私鉄唯一のセメント貨物列車を運転していること、障害者雇用に努力していることを承知していたので電話を入れてみた。

 渡邉一陽社長は「"年金相談列車"は地域社会との共存を願いながら、長い間月一回運転をしてきた。コロナ禍で休んでいたが、とりあえず8月、9月だけでも復活させる準備ができ、また地域に貢献できる」と明るい声を響かせていた。車内で社会保険労務士などの専門家が無料で相談に乗ってくれるもので、沿線住民からも「大助かり!」と評判がいい。障害者雇用にも前向きに取り組みを行って、担当の日沖光労務課長は「社員は一人何役の毎日。その中で本社業務や駅業務に採用してきている。ローカル鉄道として精一杯の努力を行っている」と語る。

 三岐鉄道の路線は、北勢線西桑名~阿下喜間20.4km、三岐線富田~西藤原間26.5km、それと連絡線の近鉄富田~三岐朝明信号場間1.1km。北勢線は、近鉄からの譲渡線。

2020/07/30 トンネル崩壊を予知した斎藤廸孝さん

 全国各地で河川氾濫や地滑りが続いている。人知をはるかに超える天災と言えるが、そんな中でほぼ半世紀前に、鉄道のトンネル崩壊を事前に予知して大事故を防いだ事実を思い出した。

 昭和45年(1970年)1月22日の真夜中1時24分に長野県内の国鉄飯山線越後岩沢~内ヶ巻間の高場山トンネル(187m)が地滑り崩壊し、土砂は近くの信濃川まで流れ落ちた。特筆したいのはその崩壊予想時刻を前夜から一時間置きに告げていたこと。最終的には、予想時刻のほぼ6分前に崩壊が始またと伝えられているが、現場にいた関係者は直ちに崩壊後の安全対策にあたることができたという。

  地滑りの前兆は、前年8月の集中豪雨でトンネル入り口の地山に異常を見つけたこと。年末の12月28日には列車を止め、バス代行にした。地滑りから崩壊までの動きは科学的に割り出され、グラフで示されていた。技術開発の先頭に立っていたのは鉄道技術研所で地質研究をしていた斎藤廸孝さん。後日、「どんなに優れた科学的手法で工事を施しても自然が相手のこと。その前後の注意深い観察が求められるのは当然だ。常日頃の油断なき行動こそが大事な心構えになる」と言っていた。

2020/08/03 駅の野鳥放送、駅の花々

 以前は、駅ホームで野鳥のさえずりを放送したところが多かった。駅構内に花壇をつくって目を楽しませることころも多かった。最近はその数が激減しているようだ。うるさい、手間がかかるといったことが理由だと聞く。しかし、この頃の新型コロナウイルスで気の重くなる毎日になると再考できないものかと思い返してしまう。

 軽井沢駅で聞いたウグイス、カッコウなどのさえずりは、地元の野鳥研究家から市観光課経由で駅に寄与されて始められた。旅客の心を和ませ、評判を倍加させたという。音量調節はむずかしくなかったのだろうか。
 津軽鉄道は毎年、スズムシ列車で生演奏を楽しませることを忘れていない。中国路のJR小野田線小野田駅もスズムシで知られていたが、今はどうだろうか。昨日、久しぶりに乗車した東京の電車の中で、子どもが持ち込んだ籠からキリギリスが涼しげに鳴いていた。乗り合わせたひとたちはマスク顔ながら揃って優しい眼差しになっていた。

 シーズンは過ぎたが、東京の国電山手線駒込駅のツツジでとげとげした気持ちを救われた人は多いはずだ。明治43年の同駅開業を祝って、近所の植木屋さんや付近の人たちが100株寄贈したのが最初と聞いた。事実関係を詮索することより、そうした嬉しい伝統を大事にしていく心掛けこそ受け継ぎたい。
 忘れ難いのはJR紀勢線各駅にハマユウが植えられていたこと。駅員はもちろん、沿線住民の心遣いをいまも忘れずにいる。

2020/08/06 広島電鉄の被爆電車653号が特別運行

 6日は広島、9日は長崎の75回目の原爆忌。75年前、東京空襲を受けて廃墟の中で立ちすくんでいたときに、両親からその悲劇を聞いたことを思い出していた。そこへ広島の知人から電話が入り、「今年の広電特別運行ダイヤは変則になった」との知らせ。多くの人たちに知らせてほしいとのひと言が付いた。お役に立てばと思った次第。

 広島電鉄には被爆電車3両があり、うち2両の651号、652号は現役走行しているが、653号車は特別運行プロジェクトの主役。ここ5年間に約2700人の参加者を募って走行してきているという。しかし、コロナ禍の今年はそうはいかない。急きょ無乗客で運転し、その走行模様をインターネット配信することになった。長崎原爆忌の9日にも配信するが、いずれも13時~14時10分の予定。
 配信は、https://rcc.jp/tram/
 ライブ配信後は、https://tram.innolab.works/で、被爆電車653号の特別運行当日の車窓からのライブ映像等が配信されるとのこと。

2020/08/10 "ゆいモノレール"17回目の開通記念日

 きょう8月10日は、沖縄都市モノレール(愛称・ゆいモノレール)の開通記念日。
 17年前の2003年(平成15年)に跨座式モノレールの那覇空港~首里間が開通した日だ。昨年10月1日に首里~てだこ浦西間を延伸したので、現在の路線延長は17.0km。

 開通前は、極めて車社会の激しい地域だったので、先行きを危ぶむ声が強かった。今は時折、「鉄道」という言葉さえ使われ、違和感なく聞こえるようなった。それだけ地域公共交通機関としての存在感を高めたことになったのだろう。

 1994年(平成6年)、沖縄県、那覇市、既存のバス会社間で基本協定と覚書が締結された。2年後の1996年11月に軌道本体工事が始まり、開業予定は2003年12月と発表された。ところが街路整備が進捗し、実際には4ヵ月早い8月10日に開通したのだ。背景に住民の期待感が感じ取れる。太平洋戦争の沖縄戦跡地を走るため、不発弾処理などの難しい作業がありながらの開業だったために、一層、印象深い開通式だった。

 愛称の"ゆい"は琉球方言"ゆいまーる"からとったもので、「村落民が一緒になって働こう」という意味だと教えられた。高い所から沿線を一望しながらのモノレールの旅。首里城火災からの立ち直り、コロナ禍の終息。一日も早く沖縄観光を楽しみたくなってきた。

2020/08/12 仁杉さんとマクラギ

 滋賀県甲賀市を走る信楽高原鐵道の勅旨~玉桂寺前間に第一大戸川橋梁(だいいちだいどがわきょうりょう)がある。全長31m、幅4mの極めて小さな橋梁で、川は淀川水系。
 国鉄総裁も務めた仁杉巌さんが若い頃の大阪事務所次長時代にフランス人技師のアドバイスを基にして実施設計した橋梁で、わが国のプレストレスト・コンクリート橋発展の礎になった橋だ。その取材に先立ち仁杉さんを訪ねた時、「うっかり見過ごすなよ」と言われたが、今でもその気さくなひと声が思い出される。

 それ以前の橋梁は、1954年(昭和28年)の集中豪雨で流失していた。このため新しく中間に橋脚を立てないスパン30mの橋をつくることになったのだが、ほぼ1年後に竣工した。今は信楽高原鐵道の国登録有形文化財(建造物)に指定され、その技術は都会の鉄道ホームから見ることができるPCマクラギにも活かされている。因みに仁杉さんは「枕木は栗などの木材でなくなる時代が来る。PCのイメージを活かして片仮名のマクラギならどうだ」と笑っていた。

 必ず言い添えた言葉があった。「土木工事は『道路は道路、鉄道は鉄道』と分かれている。総合的にどうするかの視点に欠けている。鉄道経営もまた然り。『国鉄、私鉄、ローカル私鉄の連携』が薄い。そのあり方をはっきりさせて国土計画をつくっていかないと災害国ニッポンはいつまで経っても堂々巡りに陥ってしまう」。

 本格的な台風シーズンを前に、未だに復旧・復興作業の遅れを見聞するたびに思い出してしまう人物だ。

 2020/08/16 今も"光る分岐器"

 埼玉県寄居市は人口約3万人。武田、上杉も攻めきれなかった北条の鉢形城跡などがあり、フラッと出歩くのには格好の所だ。その玄関駅が寄居駅。50年前に『光る分岐器』の駅と先輩から教えられ、その現場に立った記憶がある。

 同駅にはJR八高線と私鉄の秩父鉄道、東武鉄道東上線の3線が乗り入れている。駅員は秩父鉄道の4人だけ。
 先輩からは「分岐器がピカピカに磨かれている。当たり前だと言ってしまえばそれまで。『国鉄(当時)さん、東武さんの列車もお預かりして楽しい毎日。線路で一番弱い個所といえば分岐器。安全輸送のためにも皆で分担してしっかり管理しようと心掛けています』と駅員は言っている。いつの世でも大事なことだ」と聞いていた。

 鉢形城跡を楽しんだ帰途、寄居駅でJR八高線の列車待ちをした。居合せたカメラ片手の中年男性との語らいの中で、同じ話を聞いた。「今でも"光る分岐器"ですよ。それを手前に3社の電車を映してきました。楽しかったですよ」。その嬉しいひと言を秩父鉄道本社に電話でお届けをした。

 2020/08/19 コカリナで雰囲気抜群の別所線応援歌

 長野県の上田電鉄別所線の開業は1921年(大正10年)6月17日。来年で100周年を迎える。今は生憎と、昨年10月の台風19号で上田~城下間の千曲川橋梁(通称・赤い鉄橋)が被害を受けたために同区間は代行バスに頼っているが、来年3月ごろには上田~別所温泉間11.6㎞の全線開通見込みという。

 同線には「別所線の将来を考える会」(竹田貴一代表)がある。かつて5路線あった鉄道ネットワークが次々と廃線、危機感を感じた竹田さんは自ら"市民の足"を守るために立ち上がり、組織したボランティア団体だ。「そのためには市民を巻き込むことが第一」と考え、上田市出身でコカリナ奏者として知られる黒坂黒太郎さんに協力を求め、別所線のイメージソングを制作した。作詞は全国からの応募作品から選んだもので、『夢み鉄道別所線』、『別所線牧歌』のCD2曲を発表した。「予算不足でジャケットの絵は娘に描いてもらった」と苦心の連続だったが、思いは通じて好評を博し、筆者も度々そのメロディーを楽しんでいる一人。

 竹田さんの望みは「鉄道、バス、道路などが一体化した、しっかりとした"市民の足"づくり」という。「高齢化社会で、その分市街地への買い物が多くなる。別所線存続はその柱。公共交通手段の整備に影ながら微力を尽くしたい」と、今日も東奔西走している。

 2020/08/21 写真集"由利鉄の詩(うた)"で心を癒す

 コロナ禍に酷暑続き。外出自粛の気分を癒す一手に読書があるが、ふと本棚から手にしたのは写真集"由利鉄の詩(うた)"<エンカレッジ刊>。著者は秋田市在住の佐藤和博さんで、NP0全国鉄道利用者会議会員。三セクの由利(ゆり)高原鉄道・鳥海山麓線を取材した2012年8月24日にご本人から手渡されたものだった。まもなく丸8年目のその日を迎える。電話の向こうから新たな意欲を伝える声が響いてきた。
 「JR東日本の羽越本線が2024年に開通100周年を迎えます。せっかくのチャンスですから、最近パチパチ撮ったものも含めた本づくりを目指しています」。
 そういえば佐藤さんは、"普段着の鉄道風景"を心掛けており、写真に添える短文にも思いを託している。その一例は、

 『ゆり鉄を撮っていると
  近所の方によく声をかけられる
  カメラのファインダーをのぞいてもらうと
  「イイなあ」と言いてくれる
  自分たちの鉄道なのだ』

 今でも沿線の人たちとの楽しい会話が聞こえてくるようだ。

 羽越本線は日本海沿いに新潟県の新津駅から秋田駅までの271.7kmと貨物線酒田~酒田港間2.7kmの幹線。新潟、秋田両県に跨り、歴史を重ねているが、1924年(大正13)年7月31日村上~鼠ケ関間延伸をもって羽越線全通と記録されている。但し、羽越本線に改称したのは翌1925年(大正14年)の支線・赤谷線の開業から。

 2020/08/24 コロナ禍における地域鉄道に対する救済の手を

 コロナ禍で「7月の訪日外国人旅行者は前年同月比99.9%減と、4カ月連続でほぼ姿を消したまま」(読売新聞22日付け朝刊)という。さらに「航空や鉄道の利用者は前年同期比で7割前後の減少」、「貸し切りバス業界では、2月から7月の間に81業者が休廃止届を出した」と報じている。となれば当然、地域公共交通の経営危機を心配しないわけにはいかない。鉄道会社を主体に一般バスなどからの情報収集に努めているが、観光業界の話題が多い。すでにJR東日本社長は運賃制度に言及してもいるから、この種のニュースから少しも目を離せない。

 東洋経済社のオンラインで弁護士の小島好己氏(翠光法律事務所、一般社団法人交通環境整備ネットワーク監事)の『コロナで経営危機の鉄道、現行法で救済可能か』を読んだ。結論を急げば「今回は鉄道事業者で背負いきれない自然の猛威によるもの。このような事態を想定した法制度はないが、例えば鉄道軌道整備法の補助制度を活かすことはできないか」旨のご提案と解釈した。天を仰いでいるばかりでは救済策も生まれてこない。そう思って紹介したくなった。

 小島氏は具体案を示している。『鉄道軌道整備法が助成の対象とする鉄道は、産業の維持振興上特に重要な鉄道であって、運輸の確保又は災害の防止のため改良を必要とするもの(第3条第1項第2号)、設備の維持が困難なため老朽化した鉄道であって、その運輸が継続されなければ国民生活に著しい障害を生ずる虞(おそれ)のあるもの(同項第3号)』などを挙げながら、「かつて"欠損補助"として使われたもので、コロナ感染症による乗降客減への対応を想定していないことなどは承知のうえ。それでも今回の事態に生かせないだろうか」としている。
 さらに、鉄道軌道整備法の目的は「鉄道事業に対する特別の助成措置を講じて鉄道の整備を図ることにより、産業の発展及び民生の安定に寄与すること(同法第1条)にある」と重ね、現行法での救済策を検討すべきだと訴えている。

 行政はもちろんのこと、この難題に知恵を出し合いたい。

 2020/08/27 魚を運ぶ新幹線に仰天!

 東北新幹線で仙台駅から空席に海の幸のマダイやカキが積まれて東京駅まで運ばれたというニュースに、しばし言葉を失った。JR東日本の"実験"だというが、28日まで計3回予定している。九州新幹線では宅配便の荷物を運ぶ実験を行う予定とのことであり、あらためてコロナ禍の酷さを直視させた。

 新型コロナの感染が怖いということで、最近は通勤にも自転車の利用が目立つという。警視庁は国や東京都と共に都内の幹線道路計100キロ区間に自転車用の通行路を整備することを決め、今年度中に約17キロ着工するとのこと。また一方で新型コロナの感染を避けるため、病院での"受診見合わせる患者"というニュース。

 鉄道、バス、タクシー等地域公共交通機関を大きな軸として動いていたはずの従来社会のシステムそのものが大きく変様する気配を感じさせる世の動きだ。
 そのような中で、地域公共交通機関は、そのモード間を越えて互いに連携する行動があってしかるべきではないか。自身の対応に追われていてまだその余裕がないのかもしれないが、世の中の大きなうねりには、こちらも知恵とそれなりの力が必要となる。
 『客貨混載』は、新幹線だけの話ではないはず。

 2020/09/05 トコショット節

 まだ東北新幹線が開通していない昭和40年頃であったと思う。当時の国鉄仙台鉄道管理局に『仙鉄線路搗固め音頭保存会』が結成された。10月14日の鉄道記念日の朝、仙台駅旧貨物ホームでその実演会があり、その場に居合わせた。保存された歌は"トコショット節"という国鉄独特の労働歌で、それがきっかけで個人的にも大勢の保線マンと親しくなった。

 ツルハシを振っての線路搗き固め歌は、全国共通のリズムだとも教えられた。以後、取材先では出来るだけ保線マンとの会話を心掛け、そこで事務方からは聞きだせない現場の生々しい様子も教えてもらった。東京での掛け声は"コラッショット"だった。多少の違いは兎も角、安全を守る気持ちは一緒だから、逆に「こんな土方(どかた)の所をよく訪ねてきてくれた」と言葉を掛けられると嬉しくなったことを覚えている。

 保線作業の近代化、機械化でタイタンパーなどが当たり前の時代になり、この歴史の古い労働歌をレール上で耳にすることは全くなくなった。タイタンパーなどの機械類は個人的プレーになるが、"トコショット節"は完全なチームワークの世界を響かせていた。もうあの世界は戻ってこないが、保存会はどうなっているのだろうかと気になった
 偶々、美輪明宏の『ヨイトマケの歌』を耳にしてこのことを思い出してしまった。

 2020/09/06 八代目林家正蔵と地下鉄定期券

 東京メトロで浅草の浅草寺へ向かう途中の稲荷町駅で、ふと八代目林家正蔵(1895~1982年)を思い出した。むしろ〝トンガリの林家彦六"と言ったほうが分かり易いかもしれない。良くも悪くも頑固一徹の突っ張り者として知られていた。

 東京・浅草の稲荷町に住んでいたので新宿や浅草の寄席には地下鉄を使っていた。しかし、便利で安い定期券は寄席に通う時は使うが、それ以外は必ず普通乗車券を買って乗降したという。駅員が「定期券を使わないのですか」と尋ねると、「まあ、いいじゃありませんか」と笑っていたそうだ。駅員と同じような疑問を持った作家・永六輔が随筆で「師匠は『手間の省ける定期はありがたい。それをなんでもないときに使うのはきまりが悪いし、照れ臭い』と言っていた。頑固一徹と言ってしまえばそれまでだが、そこに師匠の生き方が読み取れた」と紹介していた。

 定期券には"キセル"という悪い使われ方があった。それは兎も角、落語家と駅員が気軽にやり取りできた雰囲気も遠い昔の話になってしまった、と愚痴をこぼすと「煙管を使えない役者が当たり前になった昨今、そんなことは、別段、珍しいことではないわさ」と笑われてしまった。

 2020/09/09 無念!『リハビリテーション』誌の休刊

 公益財団法人鉄道弘済会の関連組織に鉄道身障者福祉協会(本部・東京麹町、辻等理事長、略称・鉄身協)がある。そこでは67年間にわたり『リハビリテーション』(A5判、愛称リハビリ誌)が発行されていたが、本年9月号の第626号をもって休刊となった。理由は会員の激減と老齢化、それに伴う資金難。廃刊としないところに、今後の展開に若干の期待感を残すが、「まず無理かな」の声が少なくない。

 鉄道弘済会のスタートは、99年前の大正10年(1921年)。当時の国鉄の公務上の障害者が集まって創設した国鉄公傷者互助会だ。今では想像もできない激しい列車編成などの現場作業で手足を切断する死傷事故が絶えなかった。そうした仲間の人生を支え、安全作業をより確かなものにしていこうという目的から組織された。

 『リハビリテーション』は戦後の昭和28年(1953年)6月に発刊された。編集指針に"社会福祉研究"を掲げ、編集委員に厚生労働省、文部科学省、大学、病院マスコ、マスコミなどの関係者を揃え、毎年、懸賞作品募集を行い、鉄道全般の職場環境改善はもとより、社会一般の医療・医術体制の進歩を促す行動を重ねてきた。
 内容は、著者の実体験を基にしたものを主体にしていたが、地方紙記者の連載<リュックにカメラと時刻表>などで肩を張らせない工夫を随所に見せていた。その点がこの種の専門誌にない特徴だった。

 新型コロナウイルスに右往左往しているこの渦中にあって、貴重な専門誌が姿を消そうとしているのは無念だ。

 2020/09/11 津軽鉄道のスズムシ列車

 青森の津軽鉄道で9月1日から鈴虫列車"が運転され、利用者の心を和ませているという。この列車は34年前の昭和61年(1986年)9月に津軽中里駅の駅員さんの発案で始まったと聞いた。昆虫学者は鈴虫を"虫のバイオリン奏者"と例えているというが、確かに旅心を誘う音色でもある。

 鈴虫といえば以前、東京のJR上野駅でも"大演奏会"を楽しんだ記憶がある。あの喧噪な駅構内で聞いた楽しさは、不思議と未だに忘れられない。岡山駅や飯山線越後外丸駅、美祢線厚保駅、小野田線小野田駅などでもその話題に遭遇した。どれもこれも"育ての親"は駅員さんで、言ってみれば彼らは"演出家"だったのだ。その演出家からは利用者との繋がりや、安全・安心のための心掛けについても何ら構えることなくお話を伺うことができた。

 地方創生、地方再生の言葉は飛び交っているが、こうした話題にふれるのはとみに少なくなった気がしてならない。いつまでも残暑が居座っているせいか、それとも暇すぎるのか、はたまた忙しすぎるのか。

 2020/09/19 急ぎたい地域鉄道の現状再確認と支援

 三セク・わたらせ渓谷鐵道(群馬県)、ローカル私鉄・銚子電鉄(千葉県)から直接、後へも先へも行かない経営難を訴えらかけられた。前者は目標300万円のクラウドファンディングによる募金、後者は自主映画上映などを通して資金援助を訴えている。共に単に"理解してください!"と訴えるだけでは済ませない声が響いてきた。

 国交省関係の鉄道・運輸機構(JRTT)発行の季刊誌『鉄道・運輸機構だより』のNO66夏季号には特別企画「地域鉄道の現状と支援策」が掲載されている。経営改善に有効な事業構造の変更、財政支援等々実例をあげながら紹介するとともに、同機構による鉄道施設の保全、改修に際しての技術的アドバイスを無償で行う「鉄道ホームドクター」制度の利用状況が掲載されている。

 その利用内訳は、三セク48%、中小民鉄23%、地方公共団体15%、その他14%で、分野別では軌道・路盤関係12%、橋りょう関係21%、トンネル関係6%、GRAPE関係14%、助成・補助金関係14%、その他26%であった。
 この中の「GRAPE関係」は、機構独自の将来予測ができる交通計画支援システムで、その利用内容を知りたくなった。鉄道沿線等の将来需要予測等のデータ解析の結果は、鉄道会社にとっては戦略を立てる手立てとなり、自治体のとっては地域の交通政策の展開に欠かせないからだ。いずれにしても鉄道各社は躊躇することなく、もっと「鉄道ホームドクター」制度を利用してほしい。

 地方創生か、地方再生か。どちらにしても地域鉄道は地域経済の基盤を担っていることに間違いない。コロナ禍を突破するために、それこそ会社同士では緊密に情報交換をし合い、加えて機構のこの制度を活用して、コロナ後の新しい地域公共交通のあり方を考え、示していってほしい。

 2020/09/20 いつでも どこでも みんなのバス

 今日20日は「バスの日」、タイトル「いつでも どこでも みんなのバス」は、昭和62年(1987年)9月20日の全国バス事業者大会で掲げられたスローガン。この機会に日本のバスについて少し振り返ってみた。

 明治36年(1903年)9月20日に京都市で最初のバス運行が開始されてから今年で117年になる。
 バスといえば観光バス記念日もある。これは大正14年(1925年)12月15日に皇居前~銀座~上野間を"ユーランス"というバスが走った日だという。もっとも今とは違って路線バス扱いだったとか。そこで知人のバス通に問い合わせると、「九州・別府温泉の亀の井観光バスが大正13年(1924年)に女性ガイドを乗務させて運転した。こちらが最初だ」と指摘された。正直、戸惑っている。

 今春、公益法人交通エコロジー・モビリティ財団などによる第11回EST交通環境大賞が公表された。奨励賞の一つとして熊本市のSAKURAI MACHI DATA Projectの「熊本県内バス電車無料化社会実験と検証」が受賞した。大規模商業施設がオープン前の昨年9月14日、『熊本県内バス電車無料の日』を実施し、産官学連携で市街地活性化と環境負荷低減に寄与したことが評価されたもの。

 地方経済の発展が望まれている時だけに、その内容に興味津々。バスや電車の運賃無料化の及ぼす外部経済効果は如何なるものであったか、その効果大であれば無料での恒常的運行も可能となるはず。今の公共交通運賃の仕組みも大きく変わるのではないかと思いを巡らせる。

 2020/09/23 ふるさと納税のお礼に"塩狩駅カード"

 北海道上川郡和寒(わっさむ)町は、ふるさと納税の返礼に町独自の"塩狩駅カード"を用意している。JR宗谷本線塩狩駅といえば、女流作家・三浦綾子(1922~1999年)の『塩狩峠』でも知られており、国鉄時代の殉職者、長野政雄氏(鉄道省旭川運輸事務所庶務主任)を題材にしたこの名著は映画化もされた。今も駅構内には遺徳碑があり、駅近くの三浦旧宅は塩狩峠記念館になっている。

 町役場によると、「駅は一時期、廃止問題にさらされたが、農業主体の約3000人の住民の熱意がJR北海道の心を揺さぶり、存続している」(総務課)という。

 長野政雄は1909年(明治43年)2月28日、公務出張からの帰路に事故にあった。塩狩峠で突如最後尾客車の連結が分離して逆走、暴走、長野は身を挺して停止させ、乗客、乗務員は無事だったが、自らは犠牲になった。クリスチャンの彼は常に「苦楽生死均しく感謝」の遺書を懐中にしていたと聞く。事故から60年を過ぎて同じクリスチャンでもあった三浦が彼を主人公とする『塩狩峠』を著わし、多くの共感を呼ぶと共に今に伝えている。

 2020/09/27 高幡不動尊と『玉南(ぎょくなん)電気鉄道記念之碑』

 鉄道記念碑を神社仏閣の境内で目にすることは、まず稀だと思う。ところが東京・日野市の名刹・高幡不動尊金剛寺境内にあった。『玉南電気鉄道記念之碑』がそれだ。

 同寺は京王線高幡不動駅最寄りで、千葉県の成田山新勝寺などと共に関東三大不動尊として参詣者が絶えない。石碑は目測で高さ約5m、幅約2m。新選組の土方歳三の生誕地も近くにあるため、その立像と隣り合わせに立っている。建立は昭和2年(1927年)10月で、撰文は京王電鉄初代社長の井上篤太郎氏。

 玉南電気鉄道は、大正11年(1922年)に府中、八王子などの沿線住民の協力で設立され、大正14年3月24日に府中~東八王子(現・京王八王子)間を開通させた。のちに京王電鉄と合併したが、その経緯が碑文に刻まれていた。

 高幡不動駅は高架化され、寺周辺の田畑にも家並みが広がり、当時を偲ぶものは皆無に等しい。「境内で玉南電気鉄道の開通式を行った」と記憶をたどる人もあるが、京王電鉄の社史などでは確認できなかった。名刹と鉄道史。それはそれなりに格好の話題だ。

 2020/10/01 "開業50周年"を迎える土佐くろしお鉄道中村線

 三セク・土佐くろしお鉄道(高知県)の中村線は、今日10月1日に開業50周年を迎える。中村駅で四万十市長や観光協会長らによる記念式典が行われ、特急しまんと1号の乗降客にお餅が配られるという。コロナ禍の中だが、ささやかながらも地元民との集いを心掛けたいというところらしい。

 通称・四万十(しまんと)くろしおラインの愛称を持つ中村線の窪川・中村間43.0kmの全通は、1970年(昭和45年)10月1日。同線の土佐佐賀までの間はそれより早く、1963年(昭和38年)12月18日に開業しているが、全線開通が行われてこその"鉄道開業"として、今日の10月1日に開業50周年を祝うことにした。同線沿線には足摺岬や四国遍路38番札所・金剛福寺、ジョン万次郎生誕地など観光スポットも多く、入野松原沖はホエールウォッチングの名所。ツバキ、ハマカンゾウなどの花所でもある。

 同鉄道には、中村線のほか宿毛(すくも)線、阿佐線の三線から成る。それぞれの沿線にはそれぞれの魅力を秘めている。今回の開業式典のニュースは昭和40年代に求められていた四国循環鉄道構想を思い出す機会ともなった。

 2020/10/05 松浦鉄道と竹筋コンクリート橋梁

 三セク・松浦鉄道は、佐賀県有田町と長崎県佐世保市間93.8kmの単線非電化路線。駅数57で、沿線の人々は"MR"の愛称で呼び親しんでいる。
 陶磁器でお馴染みの伊万里焼、有田焼も佐賀県内の沿線に窯元がある。その陶磁器を輸送するために伊万里鉄道として有田~伊万里間を明治31年(1898年)に開業した。また石炭輸送を目的に佐世保軽便鉄道として相浦~大野(今の左石)間が開業したのは大正9年(1920年)。古い鉄道の歴史を持つと共に風光明媚な沿線を有するMRは、「GO TOトラベル」の候補地としても最右翼の鉄路だ。

 佐世保方の潜竜ヶ滝~吉井間2kmに福井川橋梁(67.06m)、吉田橋梁(58.00m)、吉井川橋梁(45.86m)の3つのコンクリートアーチ橋が架かっている。ところで、これらは鉄筋ではなく、"竹筋コンクリート造り"らしいという。建設年が全て戦前で、当時の鉄不足を補うために竹が用いられたと証言する住民もいるとか。そこで平成16年に電磁波調査、同18年にコア抜き検査をしたが、確証は得られなかった。そうした経緯はあるものの国の登録有形文化財になっている。まずは無事故の陰に保線マンなどのご苦労が重ねられていることに感謝したい。

 もう一つ話題がある。佐世保中央駅~中佐世保駅間は、筑豊電気鉄道の黒崎駅前~西黒崎駅間と並んで駅間距離200mということで、”日本一短い鉄道駅間距離”を誇る。ちなみに軌道法の適用を受ける路面電車では、とさでん交通の一条橋停留場~清和学園前停留場間(63m)が最も短い。あれこれこの目で確かめたく、旅心をくすぐられる三セク・MRだ。

 2020/10/06 33年間、みそ汁を踏切保安掛詰所へ届け続けた田所フキさん

 50年前の東京オリンピックを控えた頃、「一度"みそ汁ばあさん"の所へ行って直接話を聞いて来い」と言われたが実行しないまま過ぎてしまい、今となっては確かめる術もないが、この話の大意を汲んでいただければありがたい。

 北陸本線糸魚川駅構内に通称・信州踏切があった。その踏切の近くに田所フキさんという80歳代の女性が住んでいた。「昭和5年から33年間、一日も休まず踏切保安掛の詰所に熱いみそ汁とお菜を届けてい」というのが話の筋で、「たとえどんなに些細なことでも、これほど長く奉仕を続けたことの誠実さと根気、その尊さを実感して来い」が本意。

 フキさんの奉仕の動機は、「冬のある日、年老いた踏切掛が風邪をひいて詰所で寝込んでいたのに、時間が来ると外に出て安全を確認している姿を見たこと」だったそうだ。「熱いみそ汁を飲めば少しは回復を早めるだろう」と思っての行動だった。保線掛は人事異動で交代するが、彼女は行動を止めることをしなかった。そして33年も続けた。もちろん、国鉄金沢鉄道管理局長は表彰した。人情の薄きこと紙の如くの風潮が進む中で、これほど誠実な人が居ることが嬉しく、直接お会いして我がの心の中に深く刻み込んでおきたかった。

 2020/10/10 地域公共交通優良団体への国交大臣表彰

 国土交通省総合政策局は平成21年から毎年、『地域公共交通に関する取り組みが他の地域の模範となる顕著な団体』を大臣表彰している。条件は、①住民、NPO、企業等の参画 ②地域の実情に合った創意工夫 ③今後の自立性・継続性が見込まれる、の三点。

 令和2年の受賞団体は、▼足利市地域公共交通会議(栃木県足利市)▼小平市コミュニティタクシーを考える会ほか関係2団体(東京都小平市)▼美濃加茂市地域公共交通活性化協議会(岐阜県美濃加茂市)▼広陵町地域公共交通活性化協議会(奈良県北葛城郡広陵町)▼広島市地域公共交通活性化協議会(広島県広島市中区)の5事項7団体。目立たないが、こうしたニュースこそ連携を視野に置いた新しい社会のあり方が意識されている昨今、具体例としても全国ペースの話題にしたいものだ。

 奈良盆地南西部の広陵町は、近鉄田原本線箸尾駅が最寄り駅だが、隣接の大和高田市内の高田駅との繋がりも強い。お伽話の"かぐや姫の里"でも知る人が多く、讃岐神社などの一帯は"竹取の翁"にまつわる話も継承されている。このため同町では大阪から約一時間の地の利を生かした新たな視点で、「住民の行動半径を拡充・充実させると共に、観光資源を再認識してもらう」(企画政策課)と、関連する鉄道の近鉄、バスの奈良交通との連携強化に努めている。

 2020/10/12 ヒントにしたい"ガーデンツーリズム"

 政府は庭園や植物園を巡る"ガーデンツーリズム"を促進させる方針という。これは今後の地方観光のあり方を見直し、地方公共交通機関の役割をより鮮明にするチャンスだと思う。関係自治体にはあらためてガーデンツーリズム促進のための環境の整備、近隣の鉄道やバスとの連携を求めたい。

 ガーデンツーリズムは登録制となっており、現在「北海道ガーデン街道」、「富士・箱根・伊豆の皇室ゆかりの庭園ツーリズム」、水墨画家・雪舟ゆかりの「雪舟回廊」、「宮崎花旅365」など全国10ヵ所が登録されている。国土交通省は登録された各地のガーデンツーリズムを国内外にPRをしていくとしている。このせっかくの取り組みに力を得て、地元の人たちは連携しあって実り多いものにしたい。その絆はコロナ禍に限らず、将来にわたって活かせるかされると考えていい。同じ例は、他の地域にもあるはずで、更に多くの登録が望まれる。

 因みに、「雪舟回廊」の水墨画家・雪舟(せっしゅう)は室町後期に今の岡山県総社市でうまれており、今年は生誕600年。回廊一帯を盛り上げのチャンスだ。

 2020/10/17 旧高千穂鉄道の2つの橋梁が重文指定に

 国の文化審議会(佐藤信会長)は16日、重要文化財指定16件を文部科学相に答申した。
 その中に旧高千穂鉄道の2橋梁が含まれた。当該地の宮崎県延岡市と日之影町では「遊歩道や観光スポットとして活用したい」と歓声をあげている。

 延岡市と日之影町に跨る『旧綱ノ瀬橋梁』(418m)は、1937年(昭和12年)完成した43のアーチ橋。また日之影町内の『旧第三五ケ瀬川橋梁』(268m)は、1939年(昭和14年)ごろ完成と推測されているが、Ⅴ型鉄筋コンクリート連続ラーメンと鋼製トラスト橋を組み合わせた橋梁で、共に戦前の先端技術を今に残す。

 来春3月までに正式指定される予定で、宮崎県内では初めての近代化遺産、鉄道遺産とあって、今後の展開が注目される。

 2020/10/19 岩波が『日本の私鉄』を重版再開

 読書の秋。岩波書店が1981年発刊の和久田康雄(1934~2017年)著『日本の私鉄』新書版を重版した。私鉄に的を絞り、200ページ足らずで読み易く、内容豊かなための重版再開と聞いている。私の知る限り1987年に重版以後33年ぶりの重版となる。

 和久田さんは、東大法学部在学中に鉄道研究部を立ち上げたあと、運輸省に入省したほどの鉄道好き。要職を歴任しながらも私鉄研究を重ねていた人物。多くの著書を出しているが、その間に石川県小松市の旧尾小屋鉄道(1977年廃止)への思いを同じくする全国の仲間とボランティア団体"なつかしの尾小屋鉄道を守る会"を組織、手弁当でイベント活動などをしていた。現地には今も資料館やポッポ汽車展示館があり、「観光客誘致でも役割大」(小松市役所)と認められている。

 尾小屋鉄道は鉱山鉄道として1919~1920年代に路線を延ばしたが、鉱山閉鎖後の1977年に日本最後の非電化・ナロー鉄道(軌間762mm)としての幕を閉じた。現在の小松バスの前身である。因みに、ナロー鉄道として今も残る三岐鉄道北勢線などは電化路線。

 2020/10/20 ローカル鉄道のキャンペーンが考えられないか

 第三セクター鉄道等協議会(加盟40社)の"鉄印帳"の売れ行きが良く、3回も増刷しているそうだ。マスメディアの取り上げもあるだろうが、その気力、パワーを他のローカル鉄道各社も参考にしない手はない。似たテーマを持ち寄ってローカル鉄道同士、あるいはバス、タクシーなどとの連携で地域を巡るキャンペーンが考えられないか。全国的な規模となれば大きなチャンスにもなる。

 岡山県吉備市域を歩いた時、お伽噺の"桃太郎の里"は全国に50ヵ所以上あると聞いた。山形県内の"鶴の恩返しの里"では同様な話が全国に100ヵ所以上あるとのこと。浦島伝説も各地に点在する。ところが今日その多くは地元住民すら十分に知ることがなく、観光関係者も興味を示さなない。「お伽噺、むかし話」で終わらずに、この話を結ぶ先で何かができないか。

 "鉄印帳"は7月10日に5000枚を発売開始し、すでに20000枚に達したとの報に、勝手に思いを巡らす。

 2020/10/22 カボチャに託す

 アメリカ伝来のカボチャを魔除けとするハロウィン祭りが話題になるが、大阪市営地下鉄谷町線・田辺駅近くの恩楽寺に『模擬原子爆弾投下跡地の碑』がある。75年前の1945年(昭和20年)7月26日午前9時26分に米軍機から"パンプキン爆弾"が投下され、死者7人、重軽傷者73人を出した。爆弾の形状がカボチャに似ていたのでその名がついたという。

 パンプキン爆弾は、米軍機の原爆投下訓練用につくられ、日本国内の30都市49ヵ所で実行されたことが日米研究者によって分かっている。そうして広島、長崎への原爆投下が行われた。このことは、子供用の本「パンプキン!模擬原爆の夏」(令丈ヒロ子著、講談社刊)でも知ることができる。

 本来のカボチャは15世紀にポルトガル人が日本へ持ち込んだという。冬至にカボチャを食べる風習は全国に広がり、またこれをお供えして無病息災を願うことも生まれた。大阪市営地下鉄四つ橋線玉出駅近くにある生根神社の"こつま南瓜祭り"(毎年冬至に開催)は思い出深い。カボチャを食す中風除けでも知られているが、コロナ禍の今年は神事のみ行われるとか。あらためてカボチャに安寧を託したい。

 2020/10/24 大地に絵を描き続けた岩切章太郎

 "観光宮崎の父"といわれる岩切章太郎(1893~1985年)は、宮崎交通グループ創業者であり、日本各地の町おこし観光の推進役だった。生前、多くの人に「各県に一人、彼のような人間がいたら日本はもっと良くなる」と言わしめたほどで、実業家としても名を残した。宮崎の日南海岸、えびの高原など主だった観光開発を手掛け"新婚旅行のメッカ宮崎"ブームを巻き起こしているが、1939年開園の"こどものくに"にまつわる話は、地域の人たちの語り草となった。

 "こどものくに"の最寄り駅はJR九州日南線子供の国駅。元々は宮崎交通線の駅で、1962年に国鉄による買収計画が出た際に岩切は交渉の席で2つの条件を譲らなかった。それは子供の国の駅名継承と駅前の夾竹桃の並木を残すことだった。いずれも”こどものくに”の地域のシンボル。国鉄はこの種交渉で初めて買収価格に拘らない姿勢に驚いた。そして岩切の観光理念である「大地に絵を描き続けたい」という情熱に押されるように早期決着へ動いたという。

 今日で言えば「地方創生の先駆者」。同氏を讃え、没後の1987年に宮崎市は岩切章太郎賞を創設、南ケ丘牧場(栃木県)、小樽運河(北海道)や渥美半島花いっぱい運動365日など個人、団体を問わずに全国の全国の自然美、人工美、人情美の調のとれた観光開発事例を2008年まで20回に亘り表彰を行ってきている。

 2020/10/27 交通界の"共助"に期待

 地域公共交通のあり方にも"自助・共助・公助"の推進は求められている。とりわけ"共助"に弾みをつけたい。特に交通界においては、自助や公助への取り組みやそのPR活動に比べて"共助"への姿勢がもう一つはっきりしていない気がする。地方活性化のためのも共助の進展を期待したい。

 そうした折、愛媛県南予地域で10月29日~12月31日の間、観光型MaaS(マース)実証実験が行われるという。柱になるのはKDDIだが、JR四国、伊予鉄バス、宇和島自動車、瀬戸内ブランドコーポレーション、石崎汽船、南予広域連携観光交流推進協議会、愛媛県バス協会、全日空、空港アクセスナビの9社が参画、移動のシームレス化や公共交通の利便性の向上により観光者の満足度を向上させようというもの。まさに交通界の連携による「共助」の好事例。

 IT技術を活用した交通相互の連携は、忙しすぎる大都会・東京等のあまりにも複雑な都市交通網を利用するものにとっても大いに有用となるのではないかと期待をする。

 2020/10/29 ポストコロナを見据えて

 JR東日本、JR東海、JR西日本が来年3月期連結決算業績予想で1987年(昭和62年)の分割民営化以降、初の赤字に転落する見通しというニュースにあらためて唖然とした。原因はコロナ禍。すでに航空業界、バス・タクシー業界でも伝えられていることだが、鉄道は地域公共交通の要であり、特に地方中小ローカル鉄道は"毛細血管"の役どころ。続く"動脈"のJRの窮状は他人事ではすまされない。

 JR東日本は「以前の需要は戻らないという前提での構造改革を進める」とまで言い切っている。となれば、地方中小ローカル鉄道も現状と共に将来展望も見定める必要があり、またその結果を沿線利用者へ報告することも必要となる。

 地方中小ローカル鉄道に対しては1997年(平成9年)に欠損補助制度が打ち切られたあと、設備の近代化に対する補助の拡充で凌いできたが、ハード面の近代化だけではもう済まされない状況にある。今こそ諸外国と同様の視点での維持方策を示し、国民からの理解を得る努力をするべき時ではないか。

 2020/10/30 奥さんと娘さんの会話から誕生した鉄印帳

 三セク・くま川鉄道(熊本県)はことし7月4日の九州豪雨災害に遭い、未だに人吉~湯前間24.8kmの全線が不通のまま。苦労続きの現場から同社の永江友二社長の"鉄印帳誕生秘話"をお聞きした。

 永江さんは2019年3月ごろ、ご朱印帳巡りをする奥さんと娘さんの「流行るとみんなが欲しがるのよね」という会話からハッと閃(ひらめ)いた。鉄道ファンは全国完全乗車を志す人が多い。ご朱印帳のようなものを用意すれば、ファン自身の"新たな宝物"になるはずだと思いついたそうだ。その年の第三セクター等鉄道協会定例総会で、そのアイディアを聞き知っていた当時の出田(いでた)貴康会長(肥薩おれんじ鉄道社長)から突然、披露を求められた。そこは思いの同じ者同士、全員の意思疎通も早い。あとは今の人気ぶりへと繋がっていった。

 復旧を目指すくま川鉄道社員にとってもこの鉄印帳の評判が気持ちを奮い立たせ、また鉄印帳仲間の40社からも温かいエールの声が届いている。

 2020/11/01 今伝えたい島秀雄の話

 新幹線の父とも言われ、東海道新幹線開業当時の国鉄技師長・島秀雄(1901~1998年)の今に伝えたい話二題。

 列車トイレにS式便器というのがある。湘南電車と呼ばれていた国鉄80系から用意されたが、それまでとはうって変わり、タイル張りの階段式で家屋での使用感に近いもの。S式の名称は考案者・島の苗字から付いられた。以後の車両や駅のトイレ改良計画に先鞭をつけた。

 駅ホームは危険極まりないところ。ここにホームドア設置を提言し続けたのも島で、親戚の大学生が神戸駅で転落死したことだがきっかけであった。今日ようやく全国のJR、私鉄でホームドアの設置が急速に進められている。島の提言がようやく実現されようとしている。

 島は、常々、従来の技術を改良し安全で確実な信頼性の達成を心掛けていた。《慎重居士》呼ばりもされたが、石橋を叩いて渡る姿勢あってこそ彼の元から新幹線が生まれ、その後の我が国の宇宙開発をも進展させることとなった。

 2020/11/04 鉄道員と住民との絆

 半世紀もむかしの話。米どころの東北本線小牛田(こごた)駅近くに当時の国鉄仙台管理局の気動車基地があった。そこからこぼれ出た油が地下に沁み込んで井戸水が飲めなくなり、用水路を流れた廃油で稲作に被害が出たと大騒ぎになった。当然、住民や農民から抗議がなされたが、決め手を見つけられないままに時が過ぎた。

 解決のきっかけは、国鉄陸東・石巻線管理所職員自らの行動。明け番、非番を使って田植えの手伝い、雨が降れば畦道を回って油の浸透個所をチェック。その一方で、油公害防止装置計画推進などに心を砕いた。やがて住民や農民も"論より証拠式"の職員に心を開かせるようになり、次第に騒動は収まっていったのが顛末だが、この後に被害者から加害者へ思いもかけない「地域農家経済の安定向上に尽くした」旨の感謝状が贈られた。その時の職員の喜びの表情を未だに忘れられない。

 車窓から冬支度に入った小牛田付近の田園風景を見て、あらためて鉄道員と住民との絆の大切さを思い返した。

 2020/11/08 地域の人々によって支えられる木次線

 島根県松江市の宍道駅と広島県庄原市の備後落合駅を結ぶJR木次(きすき)線は非電化単線81.9㎞。中国地方でもトップクラスの山岳路線。神話<ヤマタノオロチ>にまつわる伝説地が並んでいるのが特徴で、1998年(平成10年)から観光トロッコ列車《奥出雲おろち号》が運転されている。

 18駅のうち12駅は地域の人々の手により管理がされている。温泉を控える亀嵩(かめだけ)駅もその一つ。そば屋が管理しているため、"駅長さん"がそばを打っている。乗車列車を連絡しておけばホームまで出前してくれるといった珍しいサービスも人気で、松本清張の名著「砂の器」にも登場する駅だ。木次線と芸備線が接続する備後落合駅も無人駅。以前は旅客、貨物列車が行き交うターミナル駅として賑わったが、今は14時台の両線勢揃いの時が一番の賑わいとか。

 三井野原~出雲坂根間の標高差167mは、JR西日本管内唯一の三段式スイッチバック。沿線の景観は鉄道ファンならずとも目を離せない。地域の人々によって支えられる木次線、神話に加えてそこには人のぬくもりある世界が待ち受けている。

 2020/11/10 近間の駅舎で魅力再発見を

 JR中央線の東京~高尾間は53.1km。名刹・高尾山薬王院は秋色に染まり賑わっている。2020年に文化庁認定"日本遺産"に選ばれたとあってなおのこと。ほぼ並行線の京王電鉄が山懐の高尾山口まで乗り入れているため京王線への乗継ぎ客も目立つ。

 JR高尾駅駅舎は、大正天皇御大葬の際の新宿御苑仮停車場のものを昭和2年12月に移築した。当初は「浅川駅」と称していたが昭和36年に現在の「高尾駅」に改称。神社様式建築で、銅板葺2層の切妻屋根。漆喰の白壁は極めて落ち着いた風情。

 見てほしいのは3、4番ホーム東端にある大天狗面像(製作・大成浩、昭和53年設置)。山梨県塩山御影石18トンの巨面で、高さ2.4m、鼻の長さ1.2m、鼻の太さ40cm。東京駅方向を睨んで人々の安全・安心を見守っている。12月の煤払いは例年なら第二日曜日の午前中。

 2020/11/12 "浄瑠璃の里"能勢町

 阪急宝塚線梅田駅から川西能勢口へ。そこで能勢電鉄妙見線に乗換え山下駅下車。大阪中心部からわずか1時間ほどの距離だが、一帯は"大阪のチベット"の異名もあるほどの山地。地元の大阪府豊能(とよの)郡能勢町は、"浄瑠璃の里"として知る人ぞ知る所。一角には「日本の棚田百選」の棚田もあり、観光資源には不足はない。

 能勢町は人口約1万人。ここに浄瑠璃語り手の太夫だけでも200人以上いる。しかも知名度高い文楽座の"人形浄瑠璃"とは違い、太夫と三味線だけのいわゆる"素(す)浄瑠璃"が主体。日本書紀や続日本記にも地名が出てくる古い町だから地方創生の掛け声盛んな今、その伝統芸能をフルに活用していこう。

 毎年6月に行われる"浄るり月間"に照準をあてて、早くも来季をにらむ。元来、京都・大阪では人形浄瑠璃が盛んだが、能勢電鉄を利用して大阪、そして全国に繋がる鉄道ネットワークを活用して素浄瑠璃の観覧者を増やし、結果地域の魅力を知っていただき、<第二のふるさと>と感じてもらいたいのが本当の願いだ。

 2020/11/14 大歩危・小歩危に保線マンの苦労

 JR土讃線の吉野川沿いに大歩危、小歩危の難所がある。四国山脈を突き抜けた川が北流するところで、以前は、幾度も土砂崩壊に遭っていた。保線マンから「歩危(ぼけ)とは崩壊の意味」といわれて思わずうなずいた記憶がある。昭和37年2月に土佐岩原~豊永間で40日間不通になったこともあった。

 阿波池田~土佐山田間の全線67.4kmのうち34%の24kmがトンネルで、それだけで保線マンの苦労が推しはかれる。世界有数の大断層地帯。そこへ四国最高地からの流水。「安全を守ると簡単に口にするわけにはいきません」と日焼けした作業員たちの様子を思い出す。大志呂トンネル(675m)の開通式には当時の十河国鉄総裁が出席したほどで、あらためて"厄介な線区"は全国にいくつあるのだろうと思いを巡らせてしまった。

 土讃線の秋色深まる清流の景観は車窓からの歓声を誘う。中でもハイライトと言われているのが小歩危駅と大歩危駅の間にある第二吉野川橋梁。曲弦ワーレントラス橋を走る列車は美しく、これを支えるのが保線の仕事だ。

 2020/11/17 冬の岳南夜景尽くし

 静岡県富士市の吉原~岳南江尾間9.2kmを走る岳南鉄道は、平成25年(2013年)3月に貨物営業を廃止、翌4月から旅客一本の"岳南電車"として生まれ変わった。貨物収入を失った同鉄道をバックアップするのは富士市で24年度から財政支援を実行し、住民の足の確保を行ってきている。
 新規まき直しとなる岳南電車側も沿線に並ぶ工場群の夜景に着目、旅客誘致策として《夜景ツアー鉄道&工場(W夜景をW撮り)》などを次々と企画、発売した。これが全て大当たり。

 本年12月5日(土)には最終電車運転後に普段立ち入れない線路を歩く特別企画《岳鉄ナイトウォ-ク》を開催する。歩く区間は比奈~岳南原田間の約1.0㎞(往復約90分)だが、「線路沿いの製紙工場のパイプライン、煙突、煙、建屋はライトアップされ、鉄道の信号機の灯かりと共に星空をより幻想的に見せます」と誘い上手。吉原駅周辺の夜景ビュースポットも加えて"冬の岳南夜景尽くし"とする徹底ぶりに予約は好調という。 「人が輝くまちへ」を旗印に活動をする地元の富士山博覧会実行委員会(愛称・フジパク)も全面協力。岳南電車への支援の輪は確実に広がっている。

 2020/11/19 "踏ん張る"明知鉄道

 岐阜県下の三セク・明知鉄道はNHK大河ドラマの評判もあって多少の利用増があるそうだ。同線はJR中央線接続の恵那~明智間10駅の25.1km。昭和60年に国鉄から移行、今年で35年目になる。

 増収策の柱は、矢継ぎ早に運転するグルメ列車とイベント列車。12月から来春3月までは"じねんじょ(自然薯)列車"が主役。「なんとかコロナ禍を吹き払いたい」と準備万端整えている。頼りの通勤・通学利用は人口減少で厳しい状況。地元自治体の恵那市は「岐阜の南北を結ぶ懸け橋」と支援を惜しまないが、その一つが65歳以上対象のシルバー会員証(年間2000円)と小中学生対象のジュニア会員証(年間小学生500円、中学生1000円)の発行。しかも一乗車ごとに100円で利用できるという超サービスぶり。老人会などからは「乗車の機会があまりないが、会員証を買って応援している」とエールを送られているのが、こうした声こそが"踏ん張る励み"の根源。

 明知と明智の違いはなぜか。この疑問を解きながら日本一の農村景観を楽しむのも一興か。

 2020/11/25 "まゆ浪漫"蚕都・上田市

 東京から新幹線で約2時間の長野県上田市は、上田城、別所温泉など観光資源に恵まれている。上田市の産業基盤の元を作ったのは蚕糸業だった。

 しなの鉄道上田駅近くの信州大学繊維学部は核となった存在で、講堂は登録有形文化財に指定されている。蚕糸の出荷を担っていた上田蚕種協業組合の建物も登録有形文化財に指定されるなど、蚕種生産全盛期の施設が市内に点在している。忘れてはならないのは、生糸を運んだ鉄道。上田電鉄から国鉄に、高崎、東京を経由して世界に運ばれていた。

 市内の施設を巡ることで近代産業の歴史や文化を知ることができる貴重な産業観光となる。上田市では塩尻地区の近代遺産の見どころマップ《まゆの里の名残をとどめる家並みとの出会い!まゆ浪漫》を用意しているが、その担当は生涯学習・文化財課だ。せっかくのパンフレットであり、むしろ観光課が主体となって地域や施設を拡大したマップに発展をさせてPRに務めるべきではないだろうか。

 2020/11/28 11月28日は北海道の鉄道開業記念日

 北海道で初めて鉄道が開業したのは、明治33年(1880年)11月28日。官営・幌内鉄道が小樽市内の手稲(てみや)から札幌までを開業させた日であり、2020年で140周年となる。北海道の自然環境は厳しい。そのため鉄道敷設の苦闘は続いたが、当時の開拓次官・黒田清隆が米国から招聘(しょうへい)した技術者ジョン・ユリー・クロフォードの"助っ人"ぶりを忘れてはいけない。

 クロフォードは炭鉱と鉄道のエキスパート。当時の米国もまた開発事業真っ盛りの時代。36歳の彼は鉄道、炭鉱の優れた技術者として東奔西走だった。その人物が船便頼りの日米間を幾度か往復しながらも黒田の招きに応えた。これは日本初の官営鉄道・新橋~横浜間開業に英国人技術者の力を借りたことと同様で、彼らは一様に「"隣人を愛せよ"の気持ちで臨んだ」と聞く。

 クロフォードと日本人技術者小野琢磨との間に事件があった。真冬に熊確隧道を掘削中、小野が測量を間違え、隧道中央部で1mの誤差が出た。それをクロフォードは誤差の分だけ天上をアーチ形にして切り抜けた。その後で彼は小野をかばうように「ここは"小野"記念物"として残そう」とユーモアでおさめたそうだ。

 幌内鉄道手宮駅跡は今の小樽市総合博物館となっており、同館には機関車1,2号などが国重要文化財として展示されている。

ページのトップへ戻る